往復書簡

往復書簡 7 立川直樹

<往復書簡 7 立川直樹>

コロナですっかり気が滅入っているところにロシアのウクライナ侵攻はメガトン級の衝撃。テレビに映し出されるニュース映像は本当にこれが21世紀の今、現実に起きていることかと思うとどんな言葉で語ればいいのかわからない。ロシア通や軍事ジャーナリスト、政治家…いろいろな人がテレビで自論や憶測を周りの顔色を見ながら口にしているのが、BBCやCNNなどの報道と較べるとレベルが低く、やれやれ…という気分になってしまう。今日3月2日のABCアメリカのBREAKING NEWSで”DEADLY RUSSIAN ON SLAUGHT”というイアン・パネルのレポートも見事だったし、BREAKING NEWSの後、11時から始まったバイデン米大統領の一般教書演説も日本の国会中継とはあらゆる意味で雲泥の差だった。プロンプターをうまく使っているかも知れないが、用意された原稿を芝居のリハーサルの本読みのように読んでいる歴代首相とは違って(もしかすると田中角栄だけは例外かもしれないが)バイデン大統領は目線も含めて書かれたものを読んでる演説では全くなかったし、議員たちのたたずまいも全く違う。
ウクライナの国旗の色の服を着た女性議員やゲストとして招かれた人達…。カメラワークも申し分なく、1時間20分近く、全く気をそらせることがなかった。
それはテレビのニュースで5分程度に編集されて報じられるものとは全く違うリアルなもの。ジューネーブの国連・人権理事会でロシアのラブロフ外相の演説が始まった途端100人ぐらいの外交官が抗議の意味を込めて退出していく映像もこれって現実かい、完全に映画の一場面じゃないかと思ってしまったけど、見た?
それに加えて飛び交っているSNSのフェイク情報。ふと随分前に公開された「ウワサの真相/ワグ・ザ・ドッグ」を思い出してしまったけど、民法の地上波のニュース番組に出てくる人達も何だかいい加減だよね。すっかり週刊文春での亀和田武の連載みたいなノリになってしまったけど、言うことがコロコロ変わるプーチンがPTSDだとか、ベルリンの壁崩壊の時、KGBのスパイとしてシュタージと一緒に活動していたプーチンが壁の崩壊にショックを受けただけでなく、市民にKGB本部を取り囲まれたことがトラウマになっていて、その2年後、今度はソビエト連邦崩壊で完全に壊れてしまったことが要因じゃないかとか…本当にテレビから離れられないでいる。
”情報ライブ ミヤネ屋”あたりでも1時間20分近くWAR IN UKRAINEにしっかり時間をさいているし、そんな時、グルメレポートなんかやっててどうするのと思ってしまう。
そんな日々が続くと、民放で番組の間に入るコマーシャルがあまりにも馬鹿っぽく、歌って踊っているだけでいいのかと思ってしまうし、妙にペターッとした流れはどうにもならないにしてもニュース番組ひとつとってもBSのほうがずっとまし。ウクライナ関連の報道を興味があって追っかけているうちに自分の中で様々なものに対する価値基準が変わってしまった気がする。
はっきり言うと、簡単に作ってしまったものや、ただ売れればいい、話題になればいいということで市場に出てくるものは別世界の出来事だと思いたいし、コンビニに置いてあったフリーペーパー”HMV &BOOKS”を何気なく手に取ってパラパラやっていったら何と洋楽が1ページもなかったのが本当にショックだった。
そしてその対極にあるのが、コラクソーの三浦信氏が3年余りの歳月をかけて作り上げた本「MOMENTS / JUN MIYAKE 三宅純と48人の証言者たち」。光栄にも僕も証言者の1人に選んでもらえたが、表現に必要なのは尊敬と影響、濃密な人間関係であることが理屈抜きでビシビシと伝わってくる。
今回はこのくらいにしておくけど、まだまだ書きたいことはたくさんある。コンサートにイメージ映像はいらないんじゃないかということを何と僕の好きなピンク・フロイドと敬愛するデヴィッド・ギルモアのライブ映像を観て思ったこととか…
そう、最後にこれは3月25日の公開と同時に映画館の大スクリーンの前でKOされて欲しいと思って伝えておくと、ギレルモ・デル・トロ監督の最新作「ナイトメア・アリー」が夢のような狂気に満ちたプロダクション。こういうものを観ると、日常生活をちまちま撮っているような日本映画とは映画の価値観が違うなと思ってしまう。
桜が咲く頃に1度、ライブ往復書簡でもやりましょうか?

「MOMENTS / JUN MIYAKE 三宅純と48人の証言者たち」

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