立川直樹の内省日記

2010年3月7日(日)

3月1日(月)国立近代美術館で明日から始まる<小野竹喬展>をプレス内覧会で見る。代表作約100点と素描50点による大規模な展覧会。音声ガイドの助けもあって、近現代日本画を代表する日本画家の魅力を堪能したが、89歳までいい仕事をしていた人の画集を辿ると、僕などはまだまだ小僧だという気になった。これは思わぬ効果。それは常設展のフロアを歩いていても思ったことだったが、“ROCK AROUND THE CLOCK”で“CAROL&JAMES”の仕込みを終えてから出かけたギャラリー椿での“合田佐和子展”の会場でも感じたことだった。昨年と今年の作品の透明感と官能が融け合った美しさ。感性のテンションが上がって会場をあとにしたが、7時からサントリーホールで聴いたテノールのサルヴァトーレ・リチートラの歌がまた掛け値なしに素晴しかった。“次代のパヴァロッティを担う圧倒的な歌唱力!”というウタイ文句には偽りなし。パヴァロッティと違って、さほど大きくない身体から何故こんな声が出るのか、僕は素直に驚嘆したが、プッチーニやヴェルディの書いたアリアは完全に時空を超えている。マッシミリアーノ・ブロの指揮も的確でかつエレガント。客層はやや不思議な感じだったが、いい音楽は理屈抜きで人を幸福な気分にしてくれる。“CAROL&JAMES”でシャンパンを飲みながら、ほどよい音量で聴けたキャロル・キングとジェイムス・テイラーの歌声も時空を超え、幸福をもたらしてくれた。


3月2日(火)昨日に続いてよく動いた1日だった。午前中に打合わせ2つ。午後は1時からザ・プリンスパークタワー東京のスカイチャペルで行われた“渡辺晋賞受賞式”に出席、3時からは赤坂の“GIT”で喜多郎のプロジェクトのために3Dの映像のプレゼンテーションを受け、5時からはQUEST HALLで6月のKIRIN LAGER CLUB“歌謡ワンダーランド”の下見と打合わせ、そして7時前にはセルリアンタワー東京の40Fのバー“BELLO VISTO”に到着して武部さんたちと金沢城のイベントの打合わせと続いた。3月に入っていきなりよく働いている。でも久しぶりに地下鉄を移動し、最後は原宿から渋谷まで歩いてみて思ったのは街にもそこにいる人にもエネルギーが感じられず、何だかシケている。赤坂の街もパチンコ店やチェーン系の店が乱立してすっかり様変わりしてしまったし、道路の駐車スペースもなくしてしまったので、うるおいのないことおびただしい。帰宅してTVのニュースを見ると、また新たな政治とカネの問題が噴出し、あとは通りいっぺんのオリンピックの総括。午後の受賞式のパーティーで旧知のNさんが「この国はヤバい……」と言っていたが、本当にその通りだ。


3月3日(水)朝刊に不特定多数が利用する場所を原則、全面禁煙にするよう自治体に通知したことについてのコラム。僕は飛行機に乗る前にスモーキング・スペースで吸いだめをするほどのヘビースモーカーではないが、夜が不自由になる感じが何となく嫌だ。朝の8時5分から始まり、2時間と少ししっかりとつかまってしまった映画「リバティ・バランスを射った男」のジョン・ウェインの煙草の吸い方なんて禁煙派から見たら許せないだろうと苦笑いしたが、名匠ジョン・フォードが晩年に撮り上げた“西部劇神話”の真実に迫る記念碑的傑作と言われている映画は本当によく出来ていた。ジョン・ウェインとジェームス・スチュワート、リー・マービンという3人の名優の丁丁発止の芝居は最近の映画ではちょっと見られないもの。だから、夕方に横浜で行ったイベントの打合せにも力が入った。まだどうなるかわからないが“FROM LIVERPOOL TO YOKOHAMA”というタイトルで港町にアメリカ、特に駐留した兵隊たちが伝えた文化を検証してみようという試み。勿論そこにはジョン・レノンも登場するが、モノクロームの日活映画も出てくる。そんな話をしながら、6時過ぎから始まった小宴会の場所、伊勢崎町の“登良屋”は天ぷらが売りの店で大正から昭和のたたずまいをしっかりと残した感じがとても居心地がよかった。でも、表に出て改めて驚いたのは伊勢崎町の変貌ぶり。もっとも僕は40年以上前の景色を思い出して言っているのだから無理もない。“ピーナッツ”なんて店のことを覚えている人はほとんどいないだろう。


3月4日(木)午前中はケルティック・ウーマンとヴィクター・デメのライヴDVDを見ながらTAPと内省日記の原稿書き。朝の書きものは日課になっているし、これでイントロのリズムを作っている感じもする。そして、昼過ぎにはCDをたっぷりと積み込んで諏訪に向かうが、ディー・トーテン・ホーセンやロスト・シティといった90年代半ばのロック・バンドの妙なギミックのないサウンドを流して車を飛ばしていると、昨日の夕刊に載っていた栗山千明の記事の中で彼女が言っていた「違う仕事をして別の現場に行くと新鮮さを感じる」という言葉がとてもリアルに感じられた。ロスト・トライヴなども含めて音楽のせいもあったかも知れない。昨日の夕刊にはロンドン特派員が書いた“レコード天国”の記事もあったが、3月、4月、6月とさみだれ式に続く御柱祭と絡む喜多郎のパフォーマンスの打合せと会食の後、“桃源郷”でジェームス・ブラウンのソウル・バラッド集とヴァニラ・ファッジの「キープ・ミー・ハンギン・オン」が流れていた時の幸福感はイギリス人が“バイナル”、つまりビニールのレコード盤の夢そのものだった。部屋に戻って夜のちょっとミステリアスな諏訪湖を眺めながら聴いたCDは機械の内側で音が鳴っている感じだった。


3月5日(金)信濃毎日新聞の朝刊の“斜面”に、喫煙のシーンが頻繁に描かれている―という読者からの指摘で児童向け月刊誌「たくさんのふしぎ」の2月号「おじいちゃんのカラクリ江戸ものがたり」が販売中止になったという話から始まる全面禁煙をネタにした文章。少し前だが、ビートルズの写真のポスターが修整されて、メンバーの1人の指にあった吸いかけの煙草も消えたそうだ。コラムは「くゆらす」が死語に、一服の文化も今は昔になるのだろうか。―という文章でしめくくられていたが、何でも横ならび、画一的なのは本当に嫌だ。新しく出来る建物や自動化、規則の多さなどを総合してみると、国家が国民を統制している近未来SFの世界に暮らしているような気分にさえなってくる。だからなおのこと、ハードロックを流し、富士山を眺めながらの中央高速のドライヴは楽しいものに感じられた。“Va-tout”でのランチ・ミーティングの後、ザ・ミュージアムでタマラ・ド・レンピッカ展の内覧会を見たが、1930年代に生きていられたらどんなに幸福だろうかと思う気持にそれはつながっていった。緑色のブガッティに乗ったタマラの自画像、最高に素敵だ。あとはミーティング2つと、夜は“リングア・オチアイ”でAさんの送別ディナー。サルディーニャ名物だというパスタをはじめ、ざっくりとした作りの料理がとてもおいしかった。そしてその後に顔を出した麻布十番でHちゃんが始めたBAR“Serieta”は、30年代とまではいかないまでも、一昔かふた昔前の雰囲気が漂っていた。暖い夜だったので、コートも着ずに煙草を吸いながら、家に向かう途中、ふとボブ・ディランの名曲「時代は変わる」のタイトルが頭に浮かんだ。


3月6日(土)東京新聞の朝刊に明治の洋館が魅力的だという記事。東京駅や関東閣のことを思い出しながら、日本人の美意識はどこへいってしまったのかと嘆かわしくなる。その“時代は変わる”という思いは、おもしろくて一気に読んでしまった岩瀬成子の「オール・マイ・ラヴィング」とWOWOWで放映された「007/私が愛したスパイ」で加速した。60年代のビートルズ来日以前にビートルズ・ファンの14歳の少女が過ごした日常と、1977年に公開されたロジャー・ムーア主演の人間味のある007。カーリー・サイモンの歌う主題歌が妙に懐しく、ルイス・ギルバートの演出もマーヴィン・ハムリッシュの音楽もまぎれなく“20世紀の映画”だった。


3月7日(日)昨夜から何年かぶりに丸10時間昏睡した。体の芯から疲れがすっぽり抜けていった感じがする。それで元気が出たせいか、昼前からほぼ半日、資料や切り抜きの山の整理を続ける。1999年と、2000年のものがほとんどだったので、完全な時間旅行も楽しめたが、サルトルや寺山修司、サン=テグジュペリや倉橋由美子などの切り抜きがバラバラと出てきて、すっかり自分の空間、というか夢の小さな王国にはまり込んでしまった。その長い作業の間には遅ればせながら、「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」と「おくりびと」。なるほどアカデミーかというのが正直な印象で、やっぱり映画は変わったんだなというふうに思ってしまった。愛子さまの不登校というニュースも10年前だったら絶対に表には出なかったろう。結果的には本当に浮世離れした時間を過ごした2日間だった。

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