立川直樹の内省日記

2009年12月4日(金 )

11月27日(金)“va-tout”でのランチ・ミーティングをはさんで3つのミーティング。夕方からは青山の紅ミュージアムで“江戸の赤”を見た後、写真美術館で“木村伊兵衛とアンリ・カルティエ=ブレッソン~東洋と西洋のまなざし”の特別鑑賞会と“セバスチャンサルガド/アフリカ”“写真新世紀”を見てから、夜10時にペニンシュラ東京に“TOKYO NIGHT CLUB”をオープンさせる。何とも目まぐるしく忙しいスケジュールの1日だったが、移動中に聞いたデヴィット・ボウイの「ハーツ・フィルシー・レッスン」がどこかでエンジンの役割を果たしてくれた。ブライアン・イーノを共同プロデューサーに迎えて作った1995年のアルバム「アウトサイド」の中の1曲。音楽の力っていいなあと思って、ホテルに入ったが、夜も更けてからTOKUが東京の夜景をバックに歌った「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」最高だった。イベントが終わってからはホテルの部屋で夜景を見ながら、テレビでアラブの放送を見る。前回、偶然に見つけた楽しみだが、そのどこにいるかがわからなくなる感覚がたまらない。また、ヘンなことしてって笑われるかも知れない……

11月28日(土)スイスで拘束中のロマン・ポランスキーの保釈が確立した。約4億円の保釈金の送金などの条件が整い次第、スイス国内の自身の別荘に身柄を移され、監視のための特殊な電子ブレスレットが装置されるというが、その光景は映画の一場面のような感じだ。あと新聞記事では、元プロ野球選手の根来広光氏の死亡記事と朝日新聞の“この人”の欄のジム・ジャームッシュの記事が印象に残った。ヤクルトがまだ国鉄と呼ばれていた時代、金田正一とバッテリーを組んでいた名捕手の根来。そんなに熱心な野球ファンでもないのに、何故かその存在がとても印象に残っているのがとても不思議だ。ジャームッシュの記事は「観客の想像力を刺激して、既存の映画からは予想もつかない場所に連れていきたい」という始まりの言葉にうなづかされながら、映画界の将来には悲観的な彼が「音楽業界と同じでこれまでのビジネスモデルは死滅しかけている」とコメントしているのが印象的。レナード・コーエンの「1970年、ワイト島で歌う」のDVDを観て、CDを聞きながら、本当に時代は変わったことを実感させられた。そんな気分に拍車をかけたのが浄住寺の榊原直樹師が発行している“慈照”11月号の表紙に載っていた“静かな歳月の流れに驚く/閉庭に独坐し感慨に耽る/老いの悲しみは尽き難く/散葉の音の中又秋を送る”という詩。館柳湾の“秋尽く”という詩だそうだが、その詩に座禅しているコーエンの姿が重なった。40年の時の流れ。こんなふうに歳をとれるのなら、歳をとるのも悪くないと思わせてくれる人の歌はその流れと絡み合いながら静かに輝き続けている。

11月29日(日)朝11時30分から1時までNHKハイビジョンで放映された“ベルリン・アンダーグラウンド”のおもしろさに圧倒され、4時からは彩の国さいたま芸術劇場でローザスの「ツァイトゥング」に唸らされた。音楽との多岐な交わりから独自のダンス表現を創造してきた アンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケルとローザスがベルギーのピアニスト、アラン・フランコと対話して生み出される知的なパフォーマンス。2時間はちょっと長い感じもしたが、韓国人ダンサー、スーヨン・ヨウンの重力を超越した動きがまるで夢の世界の住人のようで印象に残った。そして夜は“DAINI'S table”で待ちに待った上海蟹コースに舌鼓を打ち、帰国後は録画しておいた内藤大助と亀田興毅のWBC世界フライ級タイトルマッチを見る。3-0の判定で亀田が新チャンピオンになったが、期待ほどおもしろい試合にはならなかった感じがする。それより深夜、テレビ東京で放映された“戦極ライト級グランプリ”と、12月5日のK1決勝戦の予告番組に出ていた選手の方が“動物的”で、内藤と亀田より僕には魅力的だった。彩の国から帰ってくる車の中でコーエンの「TEN NEW SONGS」を聞きながら、物思いにふけっていた自分のことを思い出して、何だか自分の趣味嗜好の針の揺れ方に自嘲的な気分になってしまった。

12月1日(火)新しい月の始まり。覚悟しておかなくては12月という月の時間は猛烈なスピードで流れていくが、夕方“YASUDA ART LINK”にグループ企画展“あのこ(ろ)のおもいで”のオープニングを覗きに出かけたのに始まり、SHIBUYA-AXでKIRIN LAGER CLUB今年最後のイベントになるSOIL&"PIMP"SESSIONSのコンサートに立ち会い、それから“成ル”という店でスタッフ打上げというスケジュールをこなす。“あのこ(ろ)のおもいで”では吉田稔美さんとタカハシカオリさんという若い作家の作品がとても魅力的だったし、山口椿さんにも御挨拶できた。AXのコンサートはとてもタイトないいライブだったし、何とビールがSOLD OUT。渋谷駅そばの雑居ビルの2階にあるアジア・キッチン“成ル”は店の売りの鶏のトロトロ煮込みが本当に癖になる絶品の味だったし、そこに電話が入り、出かけた“PB”でもニール・ヤングの話やロック・バーの客の生態等の話で大いに盛り上がった。帰宅は2時近くになったが、夕刊をチェックすると、藤島大さんの内藤‐亀田戦についての実に納得できる記事が載っていた。“ただスポーツだった”という見出しの記事の中の「…この夜のファイトは壮大な注目を集めた。しかし、ここから先、同じ種類の熱は期待できない。なぜなら亀田興毅が等身大のスポーツ選手となったからだ。…」というくだりは、何故あの試合が僕にとっておもしろくなかったかの解答を出してくれた感じがする。あと、夕刊では黒田征太郎さんが美空ひばりを連れてゴールデン街のBARに行った話が最高。ゴールデン街のBARで歌うひばりさんの姿を思い浮かべると、いい時代ってあったんだなあと改めて思い、夜の街の出会いの楽しさをみんなに忘れて欲しくないと声高に言いたくなった。

12月2日(水)朝刊に載っていた“沖縄密約訴訟”の記事で毎日新聞の記者だった西山太吉さんの写真を目にして、40年前の記憶が甦える。正確には39年前。田園コロシアムで開催されたタイガースをメインにした野外ロックコンサートの舞台美術を担当したことがきっかけで受けることになった何本かの取材の中で西山さんがお見えになり、親しくなって可愛がっていただいたが、牛込柳町にあった吉田健一さんのお宅に連れていっていただいて過ごした楽しく浮世離れした時間は鮮明な記憶となって残っている。記事を見ると現在78歳。お会いしていた頃は37、8歳だったわけだが、そんなふうに人間関係が育まれていった時代でもあったのだと思うと、40年というのは確実に“ひと昔”前ではある。そんな記憶をフラッシュバックさせながら、12月上旬とは思えない暖かさの中、2CVの屋根をオープンにして大学に向かう。授業では“フォッシー”のDVDを見て、学生たちと話をする。マイケル・ジャクソンのダンスと多くの共通点があり、これは改めての発見。そして3時30分からはメキシコ出身のアルフォンソ・キュアロン、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ、ギレルモ・デル・トロという3人の映画監督が立ち上げた制作会社“チャ・チャ・チャ・フィルムズ”の第1弾映画「ルドandクルシ」の試写に出かける。メキシコの片田舎からやってきてサッカー・セレブを極める成り上がり兄弟のアップ&ダウン人生を描いた作品だが、原色の笑いが最高におもしろかった。その後、横浜の象の鼻テラスで見た<ガリバーの食卓展>で会場に展示されていたフランス人アーティスト、リリアン・ブルジェアによる巨大ガーデンチェアセットも知的な笑いがとれるユニークな作品。象の鼻テラスがある象の鼻パークという場所は、アメリカ合衆国のペリー提督が2度目の来日で初めて横浜に上陸した場所だが、目に入る景色は素晴しく美しく、非現実的な感じがした。東京に戻ってからは久しぶりにあじフライ目当てに“すわこ”の暖簾をくぐる。美しい満月を思い出しながら“月あかり”を飲み、蓮のきんぴらを口のした時、とても正しい夜という思いがした。勿論、あじフライは期待通りのおいしさ。熱燗ともぴったりだったが、前日の睡眠不足もあって、夜はここまで。帰宅してニュースをつけるがすぐに睡魔に捕まってしまった。

12月3日(水)朝から冷たい雨。午前中は原稿書きと資料の整理。昼はSさんの招待で新橋の“ひろ作”で食事をしたが、香箱ガニや白子の天ぷらなどを肴に熱燗を飲み、話をしていたら、ふと小津映画の中にいるような気分になった。その後は松本俊明プロジェクトのミーティングをし、ミッドタウンの菱屋で木村英輝さんが壁画を描いているのを見に出かけ、それからは事務所で布袋寅泰プロジェクトの打合せ…。淡々と進んではいるが、よく仕事をしているなと思う。夜はホテルオークラの“山里”で会食。その後は“ル・プー”に流れたが、よく飲み食べ、よく話をした1日だった。夜12時、雨はまだ降り続いている。

12月4日(金)11時の“va-tout”から始まって、原宿“TESORO”でのランチ・ミーティングも入れて5つのミーティングをこなす。夜はオーチャードホールで菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラールのコンサートを見る。完全にジャンルを越境した音楽が素晴しく、お誘いした里中さんも喜んでくれたが、スペシャルゲストで登場した林正子がとてもうまくはまっていたのにも安心した。どこか父親が娘のライヴを見てホッとしている気分とでも言ったらいいのだろうか。終演後は楽屋で菊地さんに挨拶をし、村正子に「よかったよ…」と声をかけてから、ゴールデン街に向かい、キリンプラザ大阪時代に仲良くしていたMACHIKOさんがオープンした“マチュカ・バー”で里中さんたちと飲む。昔の怪し気な雰囲気がすっかり消えたゴールデン街はどこかテーマパークの一画のようになっていたのも時代の流れか。朝刊には学習雑誌の草分け的存在で学年別小学生向けの「科学」と「学習」が今年度末までに休刊されるという記事が出ていた。

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