WORKS~立川直樹全仕事~

1993年 SIDESTORY 1

 
立川氏とキリンビール(麒麟麦酒株式会社)との関わりが私の手元の資料に最初に出てくるのは1987年の『プロデューサー・コミッティ』。
このコミッティ(委員会)をベースに、現在のキリングループの芸術文化への支援活動の中心地である『KPOキリンプラザ大阪』が生まれたことが今回のインタビューでわかった。
この流れは『キリンラガークラブ』、『キリンコンテンポラリー・アワード』につながって現在に至り、そこからは美術、音楽など各方面で、数多くの成果が生み出されている。

キリンプラザ大阪から始まった

m: キリンビールさんをクライアントとする一連のお仕事は、立川さんの現在までのお仕事の中でも重要なポジションを占めていると思います。
今回はそのキリンビールさんとのお仕事についてお聞きする中で、立川さんのプロデュース論の一端に触れることができれば、と思っています。
t: はい(笑)
キリンプラザ大阪があったところにはね、もともとキリン会館っていう、名画座系の映画を見せて、そこにキリンビールを飲んでもらうスペースも併設されてる建物があったんです。ぼくが(キリンビールさんと)仕事を始めた時は、もう取り壊されて更地になってたんだけどね。
で、86年ぐらいに博報堂の後藤さんにある日呼ばれて、キリンで今度こういうプロジェクトをやろうと思う、と。それで(プロデューサーズ・)コミッティ・システムというのを一緒にスタートさせたんです。
その時、後藤さんが言ったのは、このキリンプラザ大阪を、キリンビールがオール・ジャンルの文化芸術活動をサポートしていくということの発信基地にしたい、と。
で、キリンプラザ大阪がそれこそまだ建設途中で土煙もうもうの中を、ヘルメットかぶって見に行ったんだ。今、どのへんまで進行してるのか、ということでね。
(キリンプラザ大阪は)高松伸さんが設計をやっていらして、外側は既にだいたい出来てたんだけど、中については若干の修正案は出したんです。ここに壁があると人の流れが良くないとか、ここんとこはこうしないと機材が入らないとか。
それは一応(高松さんも)聞いてくれて。
オープニング・イベントとしては当初別の案もあったんだけど、まあいろいろあって、ちょうどその時、ハリウッドが100周年だったから、『ハリウッド百 祭』っていうハリウッドの映画を何十本か集めて、それと昔の資料、マリリン・モンローの衣装とか古いポスターとかを集めた展覧会をやろうということになっ て、それでスタートしたの。それが87年の11月ですよ。
それで(キリンプラザ大阪の)運営に当たるコミッティっていうのは、当初5人でスタートして、割と早く4人になっちゃったんだけど、演出家の篠崎光正さんと彫刻家の三澤憲司さんと元・美術手帖の編集長の木村要一さん、そしてぼく、というメンバーだったの。
で、現場プロデュースということになると、結局、まあぼくがやることになるケースが多くて。
それで80年代の終わりぐらいからしばらく、(キリンプラザ大阪の仕事が)記録としては多いんです。

キリンラガークラブ

t: キリンプラザ大阪では音楽のイベントもやってたんだけど、そうするうちに、キリンの別のセクションの人から、キリンラガービールをもう少し違う形で世の中に認知させたいっていう話が来たんです。
それでその時、これは今でも気に入ってるんだけど、「ラガー・ストライクス・バック(ラガーの逆襲)」っていうコピーを考えて・・・。
ま、ネタ元はスター・ウォーズの『ジェダイの逆襲』ですよ(笑)。
ラガーはオヤジのビールじゃないんだよ、と。かっこいいビールなんだよ、ということでイベントをやりましょうよ、と提案したわけなんだけど、当時、バブル だから○千万円のイベントとかが跋扈してた時代に、多くてもその10分の1ぐらいのコスト感でやりましょうと、でもその代わり、毎月やりましょうって言っ たんです。
そうしたら、当時の担当者だった永田さんが「おもしろい」って言ってくれたの。
それでスタートしたんだけど、実際、ラガークラブは当時の『日経エンタテインメント』に、ロウバジェットで非常に効率の良いイベントの見本として紹介されたくらいに費用対効果の高いものとして始めることができて。
それが今だに百何十回、続いてるわけなんです。
m: それって、なんでそんなに安い値段でできるんですか?
t: まあ、ぼくの仕入れ経路(笑)の問題と、後はやっぱり勘ですよ。たとえばジャミロクワイの初来日コンサートっていうのもラガークラブだったんだけど、相当リーズナブルだったし、この年の10CCもそうだよね。
でも、「この値段だから価値がある、喜んでもらえる」、程のいい価格ってあると思うんだよね。値段って大事ですよ。
食べ物だってそうじゃない?おいしいものをそれにふさわしい値段で出すからいいんで、そのバランスをうまく保つところが玄人の仕事なんだとぼくは思ってる・・・
あと、どこでお金の話をするかっていうのが結構重要でね。これもプロレスに近いものだと思うんですよ。どこでロープに振るのがいいのか、なんて考えてやってるわけじゃないけど、すっとやっている・・・みたいな。
そのへんの呼吸は勘とか、向き、不向きってこともあるだろうし、場数と経験もあるだろうしね。
ただ、いつだったかキリンビールの人に言われたのは、
「立川さんはクリエイティブ面も当然すごいんだけど、それプラスバジェットや時間、納期のコントロールが完璧なんで、うちとしても長くお付き合いしたいと思うんですよ」って。
これはちょっと自慢話になるみたいだけど、うれしかったな。

セルジュ・ゲンズブールから学んだこと

m : そういったビジネス面での正確さって、立川さんの生来のものなんですか?
t : まあ、もともときちんとしてたとは思うんだけど、セルジュ(・ゲンズブール)の影響は大きいですね。
あんないい加減なイメージの人間が(笑)、仕事になると1秒も遅れないの。
ラジオだって、今日10時から収録だっていうと9時50分ぐらいにスタジオについて、で、「ここでDJ、3分」っていうと、ほんと2分57秒ぐらいでピタッと決めるし。
ところが、じゃあ、今日、遊びに行くぞって言ってプリビレージで会おうとかっていって行ってみると、もう、1時間経とうが2時間経とうが、来ない、ね(笑)
あの人にとっては仕事は仕事、遊びは遊び、なんですよ。
そう言えば、そうやって(セルジュ・ゲンズブールと)遊んでて、かっこいいなと思ったエピソードがあって。
普通さ、キールってフランボワーズにそんな高くないシャンペンで作るじゃない?それをドンペリでやるんだよ。今はドンペリだって安いけど、それは80年代だからね。
で、プリビレージって別にそんな高い店じゃないんだけど、その時、「今日はぼくが払うから」って言って払ったら、「ドンペリ・キール」やってるから、当時の金で17万円とかになってさ(笑)。
でも、かっこいいなぁ、と思ったね、あれは。
m : 立川さんは仕事でも遊びでも時間、守りますよね?
t : うん。ぼく、謝るの嫌いだからね(笑)。
特に、ごめんなさいって謝って仕事を始めることだけはしたくないから。
だから、うちの事務所の子たちにも言うのは、「すみません!」っつって遅れて打ち合わせに来るくらいだったら、もう来るな、と(笑)。
30分以上遅れて来るぐらいだったら、車に轢かれましたとかなんとか事実を捏造してでも来ないほうがいいよ(笑)。
m : なるほど(笑)。
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