立川直樹の内省日記

2010年5月17日(月)

5月12日(水)午前中、大学の授業を終えてから杉並区立郷土博物館・分館で開催中の<二・二六事件の現場―渡邊錠太郎邸と柳井平八―>を皮切りに久々のART RUNNING。埼玉県立近代美術館では<山本容子のワンダーランド>と常設展、東京オペラシティアートギャラリーでは<猪熊弦一郎展『いのくまさん』>と<喜多順子>を見て、締めはSCAIの<アニッシュ・カプーア>。どれもそれなりに魅力あるものだったが、山本容子さんの展覧会は埼玉まで足をのばした価値が十分にあるもので、とりわけ“JAZZ”のシリーズは素敵だった。夜はN氏とFさんと“cot”で会食。久しぶりの“cot”だったが、わがままがきいて、かつおいしいものを好きな量で食べられる店というのはとてもいい。もう数十年のつきあいになる谷さんはもう親戚の人みたいな感じがする。“cot”の後には“cot”ほど間はあかなかったものの久しぶりに“PB”に寄ったが、ここもまた居心地がいい。そして、ストーンズの「メイン・ストリートのならず者」を聞いている時に、長く親しくし、仕事もしたH氏の訃報。ガンだったから覚悟はしていたものの、人生の無常を感じた。その後、レナード・コーエンの歌を聞いたが、いつもの10倍くらい詩が胸に突きささった。気温も昼の温かさが嘘のように低くなり、せっかく止まっていた咳がぶり返す。辛い。


5月13日(木)昨夜の寒さで風邪をひいたようだ。文字通り“catch the cold”という感じ。咳もひどく、西麻布に谷口クンがオープンしたChinese Diner“LENS”で食事をしていても、咳と戦っていた。でも、食欲も味覚も全く落ちてはいない。好きなことはできるし、レナード・コーエンが言うところの“欲望”も衰えていないが、ただ咳だけが僕の身体を痛めつけている。そして新聞を読んでもTVを見ても、ニュースはさらにバラエティショー化し、ペシミスティックな気分になる。本当に、普天間どうするんだろう…


5月14日(金)風邪がひどくなっている。絶不調。でも、朝一番から“ROCK AROUND THE CLOCK”できょうから始まる“KIRIN LAGER BAR”の仕込みがある。バスルームで鏡に向かう時の気分は「オール・ザット・ジャズ」のジョー・ギデオンだし、東京駅に向かう途中では頭の中でクイーンの“SHOW MUST GO ON”が聞こえている。仕込みは満足できる状態で終えたので、夜のオープニング・パーティーの前に、現代美術館でフセイン・チャラヤンの展覧会、NADiFFで“ニナガワ・バロック/エクストリーム”、写真美術館でジャンルー・シーフ写真展、“古屋誠一メモワール”、侍と私~ポートレイトが語る初期写真の3つの展覧会、計5つの展覧会を駆け足で回ったが、これは自分でも飽きれるくらいの妙なエネルギーだった。展覧会はどれもやっぱり行ってよかったと思えるものだったが、現代美術館で同時開催されていた“MOT Collection”<Plastic Memories |いまを照らす方法>に久しぶりに展示されていたポルタンスキーの「死んだスイス人の資料」の素晴しさは別格で、圧倒的だった。この感覚は最近の思考形態を如実に反映しているかも知れない。


5月15日(土)NHK衛星第2でオンエアされた「ザ・スター」の野村克也が最高におもしろかった。本人の話は勿論のこと、ゲストで出てきた江本、江夏、門田、福本といった往年の名選手たちの話と存在感が強力。この2時間はそのまま収録して、単行本にしても十分に成立するぐらいに濃密なエンタテインメントになっていた。体調が悪い中で、テレビをザッピングしていての大収穫だった。


5月16日(日)体調のせいで、余り何かをする気になれない。普段こういうことがないので妙に弱気になる。そんな中でまたテレビの収穫。鳥越俊太郎さんの「ザ・スクープ・スペシャル」で扱われていた裏金告発直前に逮捕された元検察幹部の出所後の全告白が強烈だった。テレビはやはり“生もの”に限ると改めて実感。でもこんなにテレビを見たのは何年ぶりのことだろう。


5月17日(月)咳が止まらない。喉の調子もよくない。ボリス・ヴィアンの「日々の泡」じゃないが、肺のあたりがスースー鳴っているような気がする。午前中の大学の授業、“開化亭”での遅めのランチ・ミーティング……それなりにこなしはしたが、どうも本調子というわけにはいかない。やっぱり、人間は身体が資本なんだろうなあと思って夜を迎えたが、夕刊には「天城越え」などの多くのヒット歌謡曲を手がけた作詞家の吉岡治さんと、ロニー・ジェイムズ・ディオの死亡記事。歌謡界とロック界の違いはあるものの、またひとつの時代の終わり……。でも、朝のテレビで見た電子書籍の特集には妙に興味をひかれた。画面に映る本がリアルなのと、大きさも異和感がないせいかも知れない。“生もの”派の僕としては自分では使うことはないだろうが、送り手側としてはいろいろなことができそうだ。

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