立川直樹の内省日記

2010年4月7日(水)

4月2日(金)“家庭画報”で目にして、これは行ってみたいと思った熱海の“壺中庵”に出かける。湯河原の名湯宿“石葉”で18年包丁を振るっていたという料理人の栢森貞次さんが2006年秋に開いた店だというが、山菜生湯葉かけから始まった料理は最後の最後まで本当に申し分がなかった。人里離れた山の中で口福感に酔った2時間余り。静岡の“牧水”なる酒も伊勢海老の具足煮などの料理を盛り上げてくれた。帰りは熱海の高台にある“池田満寿夫・佐藤陽子創作の家”に寄り、以前写真で見て気になっていた根府川駅に寄ってみた。アトリエやリハーサル室のある家は主はもういないものの何かが宿っており、根府川駅の前には1本桜の大木があった。帰りは湘南を回り、ピンク・フロイドの「ファイナル・カット」を聴きながら、横浜に突入、“THUMBS UP”でジョー・ヘンリーのライヴを見る。これがまた実に見事、満足度100パーセントの2時間。ウッドベースのデヴィッド・ピルッチとキーボードのパトリック・ウォーレンをバックにギターを弾きながら歌うジョー・ヘンリーはまぎれなく“本物のアーティスト”だった。帰りは三ツ沢公園を回り、王川神社の桜も見て、東京に戻る。旅はまだまだ続く…


4月3日(土)9時ののぞみで京都に向かう。11時半に里中さんとおち合い、琵琶湖ホテルへ。“菜”という名のレストランでのランチは満足度十分。白ワインを飲みながら、琵琶湖を見ていた時“酔狂”という言葉がふっと頭に浮かんだ。北斎は晩年“画狂人”と名乗ったが、“酔狂人”と名乗るのも悪くないなと、滋賀県立近代美術館の“ショウゾウ・アヅチ・ガリバー/EX-SIGN展”を見てから京都に戻り、ギャラリー・シュマンで幸義明の“字象字画展”を見た後、白川の桜の下を歩いている時に思った。そして、何必館できょうからスタートした“飄々・MAYA MAXX展”は抜群の素晴しさ。館内を埋めつくす百号の新作群に圧倒され、元気ももらった。タイミング良く、MAYA MAXX本人とも久しぶりに会え、MAYA MAXXの新しい世界を切り開いている梶川館長も混じえて、お茶をいただきながら、ART RUNNINGのフィナーレにふさわしい時間を過ごす。夜の“さか本”での食事も申し分なく、“KUGEL”で飲んだ苺とシャンパンのカクテルも絶品。しめの“ルセロ井雪”ではBGMも自分たちでCDを選べて、会話も弾み、夜のしめくくりは完璧だった。ダイナ・ワシントンにアニー・レノックス、ナタリー・コール……先斗町の隠れ家的BARには女性ヴォーカルがよく似合った。


4月4日(日)朝食の後、里中氏の紹介で“アキト”という会社の安達氏と会う。開発プロジェクト関係の相談だったが、僕にとって随分とおもしろいプロジェクトを20年近く続けられたKPOキリンプラザ大阪のPAシステムを安達氏がやっていたことや、共通の知り合いが次から次へと出てきて、とても楽しいミーティングになった。昼からは三枝氏一行と京都駅で合流、恒例の花見の会が二ノ瀬の“白龍園”から始まる。天気もよく、桜の具合も申し分なし。“井傳”からの仕出し弁当と日本酒の後、露天風呂で桜を見ながら日本酒。文字通りの“極楽気分”に浸った後は歌舞練場で“都をどり”を見る。毎年のことだが、この季節にはぴったりの祇園町の高級学芸会。夜は白川沿いの“鈴江”での宴会になったが、淡路の鯛のお造りと雲丹を見た途端に飲みたくなって頼んだ白ワイン(コルトン・シャルルマーニュとシャブリ・グランド・クリュというのは何という贅沢…)が食事にぴったりと合って“口福”という言葉が頭に浮かんだ。食後は腹ごなしも兼ねて、円山公園にしだれ桜を見に行き、最後は“近江作”で締めの宴会。よく飲みよく食べた1日ですっかり浮世離れしてしまったが、これは京都の魔力か、それとも桜の妖力か…たった2日がもう10日ぐらいには感じられている。ホテルに戻った後、“DISCOVERY”チャンネルでやっていた“THE REAL LOST WORLD”でまた僕はどこにいるのかわからなくなってしまった。


4月5日(月)8時42分発ののぞみ218号で東京に戻る。新幹線の窓から見える桜が美しく、いろいろな記憶がフラッシュバックしてきて不思議なトリップ感におちいる。帰宅後、新聞や郵便物を整理していると、昨日以上にこの2、3日の時間の流れが、現実とは違うような感じがしてくる。これは単に京都だけによるものではなさそうだ。
そんな気分に拍車をかけたのが、夜の本八幡の“大黒家”での酒宴。押上や浅草などの“下町探訪シリーズ”をこのところ一緒にしている行方さんの発案で永井荷風が入り浸っていた店に出かけようという企画だったが、あさりぬたやあさり柳川、たこ桜煮などのつまみはどれも江戸前の味つけで、女将やお運びの女性の対応もチェーン系の店では絶対にありえない感じで、あっという間に楽しく3時間近くが過ぎた。帰りは店の人が今も残っている永井邸の前まで案内してくれたが、2階に薄明かりのついたそこだけが時空を超えて存在している感じで、朝のトリップ感へとつながっていった。


4月6日(火)大学の入学式。自分でも不思議な感じだが、“大学教授”という予想もつかなかった肩書きも7年目を迎えた。大学という一般社会とはどこか隔絶した場所で何が出来るのか、おとなしすぎる1年生を見ると、どうすればいいのか考え込んでしまう。夕方、東京ミッドタウン・ガーデンの中の“21-21DESIGN SIGHT”できょうが最終日の“クリストとジャンヌ=クロード展”を見に行ったが、彼等の中の誰もクリストのことなんて知らないだろうなと思うと、その距離感をどう埋めるかがひとつの課題かも知れない。でも、そんな愚痴めいたことはともかくとして、写真やドローイング、オブジェなどが美しく展示された展覧会は本当に素晴しいものだった。ローリング・ストーンズの「ギミー・シェルター」で知られるドキュメンタリー映画の鬼才メイズルス兄弟が撮ったドキュメンタリーも魅力的だったし、“ラ・ブランシュ”の予約がなかったら、映画も含めてもっと長く見ていたかった。どの作品からも感じられる“美”。建設前から賛否両論の意見が出ているロンドン・オリンピックの記念タワーの醜悪さとは対照的なものだろう。そして、久々の“ラ・ブランシュ”では申し分のない満足感ですっかり幸運な気分になった。ヤリイカのズッキーニ詰めから、フォアグラと竹の子のソテーまで、メニューの流れは久々に“ベスト・オブ・ラ・ブランシュ”という展開。お招きしたN氏の「おいしかった!」という言葉と笑顔もいい感じで、本当のおいしいものの威力を実感した夜だった。


4月7日(水)午前中、事務所で「TOKYO1969」に続く単行本「ライナーノーツ」の打合せ。20分ほどで終わるが、メイルやFAXでなく、実際に会って話をすると、いかに物事がスムースに進むかを実感する。石橋さん、ありがとう。そして、午後はシアターコクーンで山本耕史と村川絵梨共演のミュージカル「ラスト・ファイヴ・イヤーズ」を見て、夜はもう40年近いつきあいになるスタジオエーワン企画の荒木さんと“開化亭”で会食。ゆったりとしたスケジュールの日々が続いているが、一升ビンの紹興酒を飲みながら交わされた会話は、すっかり縮んでしまい、利益をあげることだけが正義になってしまった業界と世の中のこと。確かに高島屋にユニクロが入るのは象徴的だし、デパートの美術館でヨゼフ・ボイスやレンピッカをやっていたなんて夢のような話だ。帰宅して夕刊を見ると「降りてゆく生き方」というロングランの映画をプロデュースした森田貴英さんの記事が目にとまる。人をけ散らして生きていくことの虚しさを描いた作品だというが、大抵の映画が1ヶ月ほどで街のスクリーンから消えてしまうのに対して、上映会という形で公開し、2年目に入ったというのは凄い。“効率”や“便利”という言葉の意味を考えさせられた日だった。

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