立川直樹の内省日記

2010年2月14日(日)

2月8日(月)秋には出版しようと考えている本“ライナーノーツ”の打合わせや、麻布十番のすし屋“ふじ清”での会合など、平穏な1日が過ぎ、酔いも手伝って比較的早くベッドに入ったら、小村雪岱と泉鏡花の話などを読んで眠りについたせいか、鏡花の小説のような夢を見た。
伊豆に遊びに行って、大雨に巻きこまれ、着いた街にあったアール・デコのホテル。夢だから、起きてしまうともう断片しか書けないが、内装も出てくる人たちも交わされた会話も、メモ用紙に至る小道具までが完璧に出来上がっていて、生涯見た夢のベスト1かも知れない。これを書いているのは9日。でも、夢は明らかに8日の出来事ではある。これは逃避行の予兆だろうか。


2月9日(火)朝一番の歯医者に始まり、試写を1本はさんで打合わせが3つに夜の会合と、スケジュールは埋まっていても、気分的には何故かゆったりしているのがとてもうれしい。試写はデヴィッド・ボウイの息子ダンカン・ジョーンズの初監督作品「月に囚われた男」(原題は『MOON』)。不思議な魅力のある映画だったが、かつてボウイが「地球に落ちてきた男」という映画に主演していたことを意識した邦題なのだろうか。そして夜の会合は西麻布の“Ami”。昨日の“ふじ清”同様、御主人が1人でカウンターの中で仕事をする小さな店だが、2店とも主人が築地の仲買いなどに関わっていた経験があり、掛け値なしにおいしいものが食せた。この悦楽はチェーン展開している店は勿論のこと、テーブル席があり、数人の従業員がいる店では味わえないもの。こういう店でおいしいつまみでおいしい日本酒を飲んで、静かに時が流れているのが似合う季節である。


2月10日(水)期待していた「NINE」を観る。ダニエル・デル・ルイス演じるグイドが映画についての話をするオープニングのつかみはただならぬものだったが、観終えた時は期待しすぎたせいか、きれいによく出来たロブ・マーシャルらしい映画という感じの印象だった。この期待感というのは中々難しい問題だ。試写の後はゴンザレス鈴木クンと6月に予定している“歌謡ワンダーランド”の打合せと、KIRIN LAGER CLUBの打合せとちょっと遅めの新年会。今年もいいラインナップが組めそうだ。そして神泉にある宮崎料理の店“ひしゅうや”での新年会の後、昔の風情が残る道を歩いていたら“KEMONO”なるベタな名前の店を発見。イノシシやウサギ…などの文字が並ぶメニューと怪し気なたたずまいにはかなりそそられた。新聞記事の収穫は鹿島茂氏の<デパート 文化空間必要>という文章。「…今日のデパート不況は、デパートが合理化の名のもとに、自らのスペクタクル性(文化性)を次々に放棄していって、その第一原理である“とにかく来させてしまえ”を忘れたところから来ているとしか思えない。…」という分析には100%同感。伊勢丹美術館でのタマラ・ド・レンピッカ展や西武美術館でのヨーゼフ・ボイス展などの記憶がちょっとシュールな感じを伴って鮮かにフラッシュバックしてきた。


2月12日(金)昨夜は六本木の“華園”で会食。きょうの昼は“Va-tout”でランチ・ミーティング。夜は“Rice Terrace”で安西水丸さんと粕谷クンと会食。チャイニーズからタイ料理まで、本当に自分でもあきれるくらいによく食べ飲んでいる。時間に少し余裕が出てきたので、今まで手がつけられなかった資料の山の整理も始めることが出来、きょうは午後ワタリウム美術館にジョン・ルーリーの展覧会を見に行った時には和多利ファミリーとゆっくりお茶を飲むことも出来た。ジョン・ルーリーのドローイングの展覧会はどこか懐しい感じがして、近頃の気分とぴったりと合っていたし、資料の整理を続けながら聴いたピーター・ガブリエルの7年ぶりの新作「スクラッチ・マイ・バック」も静かな時間の流れを象徴していた。CDの整理をしていて出てきたSIONの10年前のCD「SONGS」もある種のみずみずしさを失っていなかったし、レナード・コーエンの名曲「哀しみのダンス」の日本語カバーも秀逸だった。新聞記事で気になったのは、ウィーン少年合唱団が生活の変化や厳しさもあって人材難にあえいでいるというもの。あー時代なのかなあという感じがする。


2月13日(土)バンクーバー冬季五輪が開幕した。TVも新聞も急激にオリンピック報道一色になる。いつもながらおもしろい現象だと思う。スノボーの国母選手の腰パン問題の報道のされ方も妙な“愛国心”丸出しの批判が薄気味悪いし、3時間に及んだ開会式も冗長な印象だった。でも、資料の整理は快調に進んでいる。切り抜きの中にあった近代建築の巨匠、ミース・ファン・デル・ローエの「建築とは、空間に移し入れられた時代の意志である」という言葉が神の啓示のように響いた。


2月14日(日)日中はほとんど資料の山と格闘していた。年代を見ると、愛知万博の始まる2年ほど前からのものがアンコール・ワットの遺跡のようにグシャグシャになっていて、それを年代別、項目別に仕分けしていく作業が実に楽しい。それは完全に時空を超えた旅…。そして、夕方5時からYASUDA ART LINKでタカハシカオリ展の仕込みチェックをするために2CVを走らせた僕は、皇居前でランニングする人とオーバーラップするレナード・コーエンの歌を聴きながら、「ギャンブル・プレイ」の一場面にトリップしてしまった。タカハシカオリの素晴しくMADな作品がまたそのトリップ感に拍車をかけたのもいいタイミング。TVの画面に映し出されるオリンピックの映像が僕にはとてもアンリアルなものに思える。僕にとっては別世界の出来事といってもいいかも知れない。

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