立川直樹の内省日記

2010年1月30日(土)

1月25日(月)「あー幸せだ…」。お招きした“田村長”の田村さんが思わずつぶやいていたが、本当においしいものを食べると幸せな気分になる。“ラ・ブランシュ”での3時間を超える宴。前菜から定番のヤリイカのズッキーニ詰め・冷たいトマトソースやカモのオリーブ焼きにフラン、甘鯛……と続き最後の仔鴨と野鳩のジビエ二点盛りまで全て申し分なし。デザートまで含めて満足感でいっぱいになった時、改めて“ミシュラン”に代表される店の評価って何の意味があるんだろうと考えてしまったが、味覚というのは映画や音楽などと違って絶対的な個人差があると思う。帰宅は10時半近く。夕刊を見ていたら、66歳になる斬られ役俳優・福本清三さんのインタビュー記事があり「印象に残る役者さんは?」の問いの「萬屋錦之介さんでしょう。やくざとやくざ、侍同士、剣豪の立ち回りと、状況に合わせた殺陣ができる方でした」という答に思わず唸らされる。子供の頃から錦之介映画をずっと見ていても気づかなかったことだが、こんな俳優はもういないし、これからも出てこないだろう。あとはスコーピオンズが40年以上続けてきた音楽活動を終了することを明らかにしたというニュース。スコーピオンズがまだ人気が出る前のアルバムのライナーノーツを書いた記憶がフラッシュバックしてきたが、そろそろライナーノーツの本の仕事も形にし始めなくてはならない。時間がもっともっと欲しい。


1月27日(水)2週間ぶりの金沢行き。前回の雪はすっかり消え、雪化粧した白山がくっきりと見える晴天で、気温も13度ある。まずは泉鏡花記念館で“幽霊と怪談の展覧会Ⅱ”の前期の展示“湯宿の怪”を見て、小規模ながら大収穫とうれしくなり、その後の下見にも気がはいる。夕食はこのところ妙に気に入っている“むら井”。手取川を飲みながら、鰊やいかのへしこやもみいかなどの金沢の珍味に舌鼓を打つ。自然薯やカニ汁、昆布〆なども申し分なし。気持良く酔って“照葉”に向かったが、まだ10時だというのに全く人の歩いていない東の茶屋街を歩いていたら、完全に鏡花の世界に旅立ってしまった。夕暮れ時の三の丸広場といい、工事中の歌劇座の客席といい、異界好きの僕にはたまらない1日だった。


1月28日(木)“4度目の正直”なんて言葉はないが、小松から羽田に向かうJAL1272便が昨年11月からの3連続遅延を払拭して、ようやく定刻で飛んだ。でも、機内の雰囲気は何だか妙に暗い。年明けから機内の新聞サービスもなくなってしまったし、デパートの閉店のニュースも含めて、世の中はどんどん“ひきしめ”とか“縮少”の方向に向かっている。映画「あげまん」で島田正吾さんが「何だかつまんねえなあ…」とつぶやいていたのを思い出しながら、ゆったりとスケジュールをこなし、夜は事務所で小宴会。ポール・サイモンの「ケーブマン」が何故だかわからないが、気味が悪いほど気分と情況にフィットしていた。


1月29日(金)トラットリア“Buca Junta”でのランチから1日が始まる。前菜からパスタ、メインまで全ての料理が力強く、元気がもらえる。午後のミーティングは拍手抜けするくらいにスムース。そして夕刊のサリンジャーの死亡記事に何だかびっくりしてから、森アーツセンターギャラリーでの新コンテンポラリーアートフェア「G-tokyo2010」の内覧会を覗き、ZEPP TOKYOに向かう。“Born To Be Wild”で幕が開いた“HOTEI2010/ROCK A GO!GO!TOUR”のファイナル・ライヴは最高の出来映え。“すべての若き野郎ども”あたりは、このバンドにオーケストラが加わったら凄いものになるだろうと思えるくらい素晴しいものだったが、サリンジャーの60年代の半ばからの完璧な隠遁の姿が何故かその名曲に重なった。91歳の死。正月のひきこもりの時に「波止場」を観て、マーロン・ブランドの若き日の姿に唸った記憶も甦り、近々「ライ麦畑でつかまえて」を読み返してみようかと思った。


1月30日(土)朝一番で銀座に阿羅漢子を名乗る三沢憲司さんの展覧会<画禅一如・水墨三昧>を見に行く。10時過ぎの閑散とした銀座の景色は妙にSF的。午後は成城学園まで学生の卒業制作イベント<暁-over the moment->を見に出かけ、5時からは東京文化会館大ホールで<H・アール・カオス×大友直人×東京シティ・フィル>のコラボレーションコンサートを見る。演目は「中国の不思議な役人」と「瀕死の白鳥」「ボレロ」の3つだったが、世界初演という白河直子のソロによる「瀕死の白鳥」とH・アール・カオス版「ボレロ」は圧倒的な素晴しさだった。帰宅後は日本酒を飲みながら、新聞や週刊誌の整理。小沢問題の特集にひかれて買った数冊の中で“週刊現代”と“週刊朝日”の論調の両極端さが実に興味深かった。そして“週刊朝日”の記事では内館牧子の“雑誌の危機”や嵐山光三郎の“コンセント抜いたか!”の中の“貧中の贅”という言葉に大いに共感。「私は新しい時代が古い時代を淘汰することは是認する。だが、今に“醸す”という感覚さえわからない人間だらけになるだろう」という内館牧子のしめの言葉は象徴的だし、「実際、コンピューターで得る情報にも、時代や人々の心理は映し出されている。社会の流れもキャッチできる。だが、雑誌は、それ以外に何かを醸していた。奥行きがあった」というのはけだし名言だ。だからというわけではないが、小飼弾さんという人の「かさばるだけのハードカバーなんて、いい迷惑。……本棚がいっぱいになったら本が買われにくくなるということを。その抜本的な改善策が電子書籍ですよ。……」というコメントには僕は賛同しかねる。本やCD、レコードの収納との戦いは長年のひとつの楽しみなのでもある。

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