立川直樹の内省日記

2011年3月12日(土)

3月6日(日)ポカスカジャン・ディナーパーティの仕事のため、諏訪に向かう。11時15分に事務所を出発して浜の湯に到着したのは1時15分。余りとばした感覚はなかったが、これは早い。回りの人からも「いい加減にしたら…」と苦笑されたが、Good MusicをBGMに走る中央高速のドライヴは快適だ。そして午後はリハーサルと温泉三昧。昨年のイベントがきっかけで実現したディナーパーティの企画は想像以上にうまくいき、約70分のライヴは抱腹絶倒、ポカスカジャンの実力と魅力を十分に示すものになった。夜9時過ぎからの“桃源郷”での打ち上げも、ポカスカジャンのリーダー、大久保さんが「これも目的のひとつ…」と言っていただけにみんな気合が入り、シャンパンをあけながら大盛り上がり。音楽は「ラスト・ワルツ」を6面全部聞いてから、ピンク・フロイドの「狂気」を5.1chサラウンドの大音量で堪能し、最後はジェームス・ブラウンの“ソウル・バラッド”でしめた。名曲「マンズ・マンズ・ワールド」が流れてからのポカスカジャンの3人にノリのいい客が1人加わっての即興パフォーマンスがまた超強力。記憶に残る“凄い夜”になった。


3月7日(月)朝、眼が醒めると、外は一面の銀世界。車はあきらめて、8時25分発のスーパーあずさ6号で上諏訪から脱出する。新宿に向かう列車では“雪見”を楽しめ、ケセラセラの気分。午後のノア・スタジオでの“KIRIN LAGER CLUB”200回記念“祝宴”の“POP NIGHT”のリハーサルも順調に進み、夜は10時から昨夜の2次会という感じで大久保さんとワハハ本舗の平間さんと“PB”で“ロック会合”。フクちゃんの抜群の選曲で話も盛り上がり、今夜もロックのりで夜が過ぎていった。明日からは2日間、“祝宴”の本番。ハードな1週間になりそうだ。


3月8日(火)昨夜もかなり飲んだのに目醒めがよかった。午前中、書きものもかたづけものもここまでやろうというところまではたどりつき、午後は渋谷のクラブクアトロで“KIRIN LAGER CLUB”200回記念ライヴ“JAZZ NIGHT”のリハーサルに立ち会いながらスケジュールのチェックや連絡事をする。本当に何だかせわしい3月だが、夜の本番も何の問題もなく終了、力量あるミュージシャンたちが一団となって繰り広げたライヴは観客にも関係者にも100%の満足感を与えられた。サックスの本多俊之、トランペットの五十嵐一生、ピアノの山中千尋、ドラムスの大坂昌彦……彼等とは今までいろいろな仕事を一緒にしてきたが、JAZZに対する情熱に新たな火がついた夜でもあった。スタッフとの打上げは神泉の“ひしゅうや”。いいだこのやわらか煮が絶品だった。


3月9日(水)朝の10時から事務所でAKB48の横浜アリーナのコンサートの打合せ。1時にはKIRIN LAGER CLUBの200回記念ライヴのためにクラブクアトロ入り。先月の“HIBARI 7DAYS”からずっとコンサートの現場にいる気がする。そうすると社会の出来事から離れていく感じがするのが不思議だ。リビア情勢に混迷を極める日本の政治情況……どんなふうになっていくのだろう……そして7時30分、定刻でスタートした記念ライヴ“祝宴~POP NIGHT”は大成功裡のうちに終了した。アンコールで出演者全員が“HOLD ON I'M COMIN”を歌い演奏したシーンは関係者の1人もつぶやいたが、まさに“奇跡の光景”。達成感もあって楽屋打上げも盛り上がり、その後はキリンビールと博報堂のスタッフと宮益坂上の中国家庭料理“YAMANOUCHI”なる店で文字通りの“祝宴”。これまた大いに盛り上がった。帰りには少しクールダウンしようと“PB”に寄り、ジェットソーダとバーボンソーダ。タートルズやキンクス、ドノヴァンの懐しいヒット曲が文句なしにはまった。


3月10日(木)睡眠時間は4時間弱。リハーサルも含めて3日間の疲れはどっとたまっているが、月曜朝に雪のために諏訪においてきたC5をピックアップしにいかなければならなかった。でも青空の下を走るあずさはサンルームのようだし、帰りのドライヴも快調でいい気晴らしになった。このポジティブな思考……そして家を出たのが8時半少し前で、ラーメンと餃子の昼食をとってガソリンも入れ、事務所に到着したのが2時半前というのはちょっとした記録だ。夕方には事務所で“KOBE LIVE SONG”の打合せと、6時からはAUDI FORUMでコンサートの打合せ。夜は7時から東麻布の“la fave”で小見山氏主催でHIBARI 7DAYSの軽い打ち上げが加藤夫妻同席であったが、一区切りした安心感とたまっていた疲労のせいか倒れてしまい、何と救急車で病院に運び込まれてしまった。意識はどれくらいとぎれていたのだろう……救急車に乗せられたのも30年以上ぶりのことだ。迷惑をかけてしまった人たちには本当に申し訳ないと思う。


3月11日(金)昨夜の救急車騒動に続いて今日は大地震。東京都現代美術館で、6人の作家により構成された<Nearest Faraway/世界の深さのはかり方>と、「こんぴらさん」の再生プロジェクトで知られる田窪恭治の個展を見てから上野の国立西洋美術館に向かう間にかつてない揺れと遭遇した。夕方のニュースによると午後2時48分。国内最大規模のM8.8ということだが、乗っていた車と周囲の建物や街灯などの揺れは尋常ではなかった。西洋美術館の「レンブラント 光の探求/闇の誘惑」展の内覧会もレンブラントそっちのけで地震の話題でもちきり。上野から飯倉に向かう途中の街も騒然とした雰囲気で、テレビをつけるとただならないことになっていた。電話は全く機能せず、仕事も停止状態。全く何てことだ思いながらテレビに映し出される映像を見ていたが、7時半過ぎに車で事務所に向かうと、普段は2、3分の道のりが何と1時間半以上もかかった。そして歩道にあふれ、歩き続ける人々。今まで見たことがなかった景色で、シュールな映画の一場面のようだった。身体の方は頭の後ろと肩の回りがしびれて固くなっているような状態。それもあって、何だかSF映画の中に入り込んでしまったような気分で夜が続いた。


3月12日(土)大地震発生から2日目。午後、大学に入試のために向かおうと外に出ると、六本木の街は昨夜とは一変して人がまばら、テレビでずっと各地の被害状況のレポートを見ていたのでとても違和感を感じる。身体も軽いムチウチのような状態。何だか活力もなく、早めにベッドに入る。中々、珍しい情況……

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