立川直樹の内省日記

2010年11月28日(日)

11月24日(水)朝刊に深町純さんの死亡記事。もう随分長いことお会いしていなかったが、70年代にはよくスタジオで顔を合わせ、いくつか仕事を御一緒したこともある。1枚づつ時代のページが閉じられていく感じがする。それと呼応するかのような<崩れゆく「壇」の権威へ画壇も文壇も楽壇も>という記事。世の中はシステムも価値感も本当に急速度に変化しているが、青山の“Buca Junta”での飯田氏とのランチでもそんな話になり、その後3時半から観たフランソワ・オゾン監督、カトリーヌ・ドヌーヴ主演の※62「しあわせの雨傘」も時代の変化を痛切に感じさせられる映画だった。夜7時から秋葉原のAKB48劇場で見たSDN48の<誘惑のガーター>公演もその気分に拍車をかけたし、劇場に行く前に“3331ARTS Chiyoda”のメインギャラリーで見た<YELLOW MAGIC ORCHESTRA×SUKITA未発表写真展>と、公演後に出かけた千駄木の民謡酒場“おばこ”で、時間と時代の感覚は壊れたタイムマシーンに乗ったような感じでぐしゃぐしゃになってしまった。帰り道で耳に残っていたのはSDN48の「佐渡へ渡る」と“おばこ”の御夫婦が尺八と歌で聞かせてくれた「越中おはら節」。お店の壁にかけられていたローリング・ストーンズのダリル・ジョーンズと御夫婦の記念写真は最高にチャーミングだった。

※62 新作ごとに違うジャンルに挑むことで、あふれる才能を磨き続けてきたオゾンが今や貫禄たっぷりの大女優ドヌーヴを主演にちょっとお茶目で粋で、軽く政治的なスパイスもふりかけたフランス映画ならではの作品を作り上げた。バラエティ誌の「フランソワ・オゾン全盛期の華麗なる復活!!」という評にも納得。共演陣も達者だし、音楽の使い方も実に洒落ている。来年の1月8日にロードショー公開。(ギャガGAGA)


11月25日(木)40年前のきょう、三島由紀夫は日本の現状を憂え、憲法改正を訴えて決起したものの、自衛隊員に拒絶され、絶望して自決した。その時、僕は“ロック・カーニバル”公演の打合せで、今はもうない日劇にいて、ニュースを聞き、外に出ると号外が配られていたのをよく覚えているが、昨夜の夕刊からきょうの朝刊、夕刊といろいろな記事が出ていてテレビのニュースでも取り上げられていた。何故か妙に生々しい三島の生の声と顔写真。誰かも書いていたが、本当に日本は三島の言った通りになってしまった。夕方、ワタリウム美術館で見た藤本壮介展「山のような建築 雲のような建築 森のような建築」の展示風景がそこにゆっくりと重なっていく。あと、1ヶ月と数日で2010年も終わるが、何かが芽生え、何かを包み込んでいこうとしている。きょう聞いていたのはシド・バレットにエリアデス・オチョア、それにセロニアス・モンク……リチャード・ロビンスの「ヴィア・クルシス」……思いのある音楽は理屈抜きに魅力的だ。


11月26日(金)朝9時4分発のあさま565号で長野に向かう。目的地は“兄部坊”。若麻績氏に善光寺の本を出版できないかと相談をする。話はまずまずの方向で進み、同行した丸木氏、品田氏と門前のそば屋“大丸”で雲山の熱燗を飲みながらにしん甘露煮と、野沢菜漬物、お料理天ぷらをつまみ、さらしなそばでしめて東京に戻る。長野滞在はわずか2時間強。あわただしい移動だが、昼間のお酒は気分をゆったりさせてくれる。何の変哲もない店の風情も悪くなかった。そして夜は6時からサントリーホール・ブルーローズで<久石譲さん 還暦を祝う会>。3時間ほど立ちっぱなしだったので、それは身体に少々こたえたが、生演奏もたっぷりあって、久石さんらしい“いい会”だった。帰りはほろ酔い気分で飯倉片町まで散歩。夜風がとても気持よかった。


11月27日(土)神官外苑から代々木公園を回るいちょう見物のドライヴをした後、サントリー美術館で<歌麿・写楽の仕掛人 その名は蔦屋重三郎>展を見る。江戸の大プロデューサーの着想の見事さ、仕事の全貌がよくわかる、いい展覧会だった。でも、この美術館は作品保護の意味はわかるにせよ、いつも照明が少し暗すぎる感がある。それがちょっとしたフラストレーション……。そして午後はTOKYO FMで“SUPERHITS COLLECTION”の収録。ロッド・スチュワートをメインにした55分番組だったが、自分でもけっこう楽しめたし、いろいろな可能性も頭に浮かんだ。夜はWOWOWで観た“Wild China”が拾いもの。素晴しい映像美を堪能したが、最後のクレジットを見ると製作はBBC。悔しいが、何故日本人はこういう詩的でロマンティシズムあふれる映像が撮れないのだろうかと思ってしまった。ここ10年ほどで大分よくはなってはいるのだが……


11月28日(日)温度も高めで平穏な1日。東京芸術劇場中ホールに勅使川原三郎の「SKINNERS―揮発するものへ捧げる」を見るために池袋に向かって2CVを走らせている時も落葉の舞うのとレナード・コーエンの歌がぴったりとあって映画の中を走っているような気分になった。そして現代作曲家のリゲティのピアノ曲とノイズサウンドを核に、研ぎ澄まされた身体が光とともに交錯するスリリングな瞬間が連続する1時間20分の公演は、実に見事なものだった。客席にいる間は完全に現実世界と遊離した感覚。客席を埋めている人々も街に暮らす一般的な人々と違う人種のように見えたのも不思議だった。夜はWOWOWで「パブリック・エネミーズ」を観たが、追跡や銃撃ばかりが目立つ凡作。最後にクレジットを見たら、監督はマイケル・マン。それで試写もパスしていたのかと改めて思い出したが、本当にこの監督の映画はドラマ性が乏しく、大味だ。もっとも最近はそういう映画が大手をふっているのだが、そんなことを思ったら、朝日新聞の朝刊に載っていたコラムニスト、中野翠さんの文章と、彼女が“GINZA”に連載していた映画評がそんな思いにシンクロしてきた。来週の日曜日の朝刊の続きが待ち遠しい。

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