立川直樹の内省日記

2010年9月6日(月)

9月1日(水)朝刊に原宿の“キディランド”が築44年の店舗での営業を終えたという記事。東京は急速度に街の様相を変えているが、またひとつ思い出多い場所が消失した。一昨日の新聞に原宿駅の北側にある“お召し列車”の発着用の“宮廷ホーム”がもう9年以上使われていないという記事が出ていたが、大半の人が“宮廷ホーム”の存在すら知らないだろう。打合せのスケジュールの合い間をぬって出かけた銀座の“スパンアートギャラリー”で開催中の<オマージュ種村季弘展>で見ることが出来たのも、手ざわりや匂いのある作品や写真。夜6時から麻布台の“浅野”で催された“今野雄二さんを偲ぶ食事会”の席でも誰かが「もう今野さんが書くべき映画や音楽がなくなっちゃったんだよ」というようなことを口にし、“エンターテイメントの黄金時代”の思い出話に花が咲いたが、本当に何もかもが変わっていっている。帰宅後、夕刊を開くとジョージ・ウィンストンの記事があり、そこにあった「今でも作曲は紙と鉛筆、それにピアノとカセットレコーダーで事足りる。パソコンはいらない」という言葉に妙にホッとさせられた。コミュニケーションの仕方も含めて何もかもがアナログ感覚で進んでいたウインダム・ヒル・レコードのプロジェクトで一緒に過ごした時間を懐しく思い出すと、いろいろな人の顔が浮かんでは消えていった。


9月2日(木)大学の慣例行事“八ヶ岳合宿”のため八ヶ岳に向かう。中央高速はいつもながら快適なドライヴ。改めて車が僕にとって素晴しいリスニング・ルームであることを実感する。2時間と少しで大泉村にある桐朋学園八ヶ岳高原寮に到着して昼食をとった後は、書きものと読書。箱根滞在中にも思ったが、高原の空気も酒と同じように僕にはとても合う。そして、これも恒例になっている竹邑類さんの演出・構成・振付によるザ・スーパー・カムパニイの“WHITE REVUE”も演し物が全部新しくなっていたので楽しめた。学生が裏方を全て務めての公演という形も定着してきたし、例年これを楽しみにして来てくれるお客さんがいるのもうれしい。夜は打ち上げの後、グラウンドでキャンプファイアーと花火。夜の闇に浮かび上がる炎と木のはぜる音がとても魅惑的だった。


9月3日(金)朝食を終え、東京に戻るために車のエンジンをかけると、温度表示は20℃。東京にいると、毎日30℃台だったので、ちょっと不思議な感じさえする。でも、長坂インターから高速道路に乗り、東京に向けて走ると、温度はぐんぐん上がっていく。身体が涼しさに慣れていたので、エアコンの効きが悪い気もするが、走りは快調で“お仲間”がいたせいで、高原寮から六本木まで2時間を切る。往きには中村中の新作※29「少年少女」を楽しみ、帰りはファイヴ・コナーズ・クインテットのトランペッター、ユッカ・エスコラのニュー・プロジェクト、※30ランペラ×エスコラの第1弾作品と、トッド・ラングレンとユートピアの懐かしい作品群が快走のBGMとしてぴったりとはまった。そして、午後1時からはオーチャードホールで12日に迫った“JET STREAM”コンサートのための小屋打合せ。帰りには青山のTAMBURIN Galleryで“Here is ZINE Tokyo”を覗く。その後は事務所と自宅で仕事。新聞や週刊誌もここまでというところまでかたづけられたが、文春に載っていたニコラス・G・カーの『ネット・バカ インターネットがわたしたちの脳にしていること』と、朝日新聞に載っていたカーマイン・ガロ著の『スティーブ・ジョブス 驚異のプレゼン 人々を惹きつける18の法則』はかなりおもしろそう。両方とも“言葉”の重要性を再認識させてくれそうだが、そこに数日前の東京新聞に載っていた現代詩人、大岡信さんの「言葉は“心の器”心を伝えるもの」という見出しがつながっていった。どこか意地悪ではあるものの週刊誌も言葉の力を感じるし、僕はまだ新聞も現物を開いて読む方がいい。昨日付の夕刊一面には、渋谷に最大の書店“MARUZEN&ジュンク”がオープンしたという、うれしい記事。130万冊の蔵書というのは壮観だろう。欲しいと思っている本の切り抜きを持って出かけたら、きっとかなりの収穫がありそうだ。

※29 本人も「自分の最高傑作」と言っているそうだが、詞も曲もサウンドも含めて本当によく出来たアルバム。12月には「捜索願い」と題されたコンサートツアーもある。アルバムの発売は9月22日。(ヤマハミュージックコミュニケーションズ)
※30 マイルス・デイビスの名盤「クールの誕生」をモチーフに作られた「ランペラ×エスコラ」は、ユッシ・ランペラとユッカ・エスコラがタッグを組んだニュー・プロジェクトの強力さを堪能できる。発売は7月28日。(T.A.C.S. records)


9月4日(土)2週続けて見出しにひかれて“週刊文春”と“週刊新潮”を買った。民主党代表選をめぐる記事はどこか“東京スポーツ”的視点で週末の休みの楽しみとしてはまずまずだったが、新潮のグラビアの“新聞王ハーストが遺した夢の城”は大収穫。大好きな映画「市民ケーン」のモデルになったといわれるハースト家だが、見ているうちに取材して写真集も作りたくなってきた。文春のグラビア“海を渡るゾウ”も中々の見もの。漫画家・柳沢きみおの連載<なんだかなァ人生>の最後の一節「“古い物は壊すな、木は切るな”が私の“思想の中心”ですが、この国は、人も建物も、いや文化も全てが、凄い早さで使い捨てになるばかりで、なんだかなァです」はホントホントと手を叩きたくなる文章で、会って話をしてみたくなった。巻末の<読者より>の欄にも投稿されていたが、先週の「決定!『ギリギリ美人』ランキング」も最高に笑えたし、昔“週刊アスキー”で連載していた<言葉のハンター>をやってみたい気分にもなってきた。この暑さが終わったら、何かを考え始めてもいいかも知れない。ただこの暑さはバカンス気分から中々解き放ってくれない。


9月5日(日)還暦のパーティーの夜に、60歳になったら仕事のやり方を変えると言って以来、1年半余り、ようやく“自由な時間”を楽しめるようになってきた。休日は休日らしく過ごせ、おまけに世の中の急激なメイル化もあって、電話を切っていても文句を言われることもない。日曜はこのところパターン化している“時事放談”から“NHKおはようニッポン”、“新報道2001”、“サンデーモーニング”とテレビウォッチング。時節柄、小沢・菅対決一色だったが、“新報道2001”の1時間に及ぶ直接対決は中々見どころがあった。格闘技で言うと、誰と誰の戦いかなとも考えたが、誰も思い浮かばず……でも、見ているうちに嫌いだった小沢が菅よりいいんじゃないかと思えてくるのは、夜のニュースで見た大阪の街頭演説会での“小沢コール”を見ても、僕だけの反応じゃないような気もする。あとはシャンパンと音楽と読書。ジャック・ケルアックの「荒涼天使たち」は休み気分の時だけ文章が頭に入ってくる不思議な本だし、ピアニストのビージー・アデールがその「声と耳、感性、そして心」のすべてに惚れ込んで全曲ピアノ伴奏を務めた※31ジェイミー・ポールの新作は、時空を超えて、ケルアックの世界と溶け合っていった。本物のスタンダードな音楽は本当に魅力がある。誰か―謎めいた書き方だが―が贈ってきてくれたチャーリー・ヘイドンの「ALWAYS SAY GOODBYE」はスタンダードな風味の音楽に映画のダイアローグなチェット・ベイカーの声などをコラージュした魔法のようなCDで、僕は完全に21世紀から20世紀に墜落してしまった。言いようのない幸福感とともに……

※31 「虹の彼方に」から「ラヴァー・アン」まで13曲(日本盤にはボーナス・トラックが1曲収録されている)、スタンダード・ナンバーの魅力に陶酔できる傑作。タイトルは「シングス・スタンダーズ・ウィズ・ビージー・アデール」。“A tribute to the great 'girl singers' of our time”というサブタイトルもついていて、ローズマリー、エラ、ペギー、ビリー、エッタ、ダイナ、ジュリー……といった女性歌手の名前が13並んでいる。“物語が始まる、ドラマティック・ヴォイス”というウタイ文句には全く嘘偽りがない。(EMIミュージック・ジャパン)


9月6日(月)スケジュールを入れず、仕事は電話だけですます。暑さがずっと続いているので、どこかバカンス気分が抜けないところもある。電話以外は読書とCD。ジャック・ケルワックの「荒涼天使たち」は文章のリズムと、ケルワックの世界にテンポが合ったこともあって、ますますおもしろくなり、ジョージ・マーティンの「耳こそはすべて」や、期待して読み始めた「帝都東京・隠された地下網の秘密」などは内容はおもしろかったり興味は持てるのだが、表現力とリズム感に欠けているので、途中で放り出してしまった。CDはファビュラス・サンダーバーズの「ウォーク・ザット・ウォーク」やラウドの「サイケ21」、ルイ・フィリップの「ゲームの規則」…といった90年前半のものが心を躍らせてくれ、最後にはウイングスの1976年のアメリカ・ツアーのライヴ盤「ウイングス・オーヴァー・アメリカ」まで手をのばしてしまった。音楽とともにフラッシュバックしてきた76年夏のロサンジェルスの情景。人間が夢らしい夢を見られる、いい時代だった。

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