TIME WAITS FOR NOR ONE~立川直樹同世代トーク~

第1回 前編

2003年はこのWebサイト=tachikawanaoki.comの助走期間だったのだと思う。
この1年の間、ぼくは立川直樹に質問してその答えを聞き、それを文章にまとめた。
そしてぼくは映画「あの頃ペニー・レインと」の主人公にちなんだキャメロンというニック・ネームをつけられ、立川直樹としばしば一緒に食事をし、お酒を飲 み、Webサイトについて共に考え、議論し、一緒に移動をし、さまざまなライブを見たり遊んだりする中で彼のジェット・コースターのようなWay of lifeに直面することを余儀なくされた。
そしてそれは本当に得がたい経験であったのだ。

そんな2003年の末に近い頃、立川さんから、毎月会って彼とぼくの周辺で起きていることを話し、それをWebで出していければ一番良いんじゃないかなと言われた。
ぼくに拒む理由は無い。もちろん。
だってぼくはすでに彼のこんな言葉にすっかりやられてしまい、それを実践しているんだから。
「怖れを持っちゃいけない。よくわからない仕組みの中に入った時こそ!」

基本は毎月一度この連載のために会ってその時に話したことをまとめていくわけだが、それにプラスして、ぼくの記憶の中にある彼の言葉をインサートしたり、ぼくから見た彼の真意を補足したりといった、ぼくなりの加工と脚色を施していくことになると思う。
さて、どうなることであろうか・・・。

初回となる1月は昨年12月にオープンしたばかりのレストラン・バー「TOOTH TOOTH」で立川直樹と話す時間を持った。

“キャメロン”こと三島太郎@favor

T=立川直樹 M=三島太郎)


M: 去年、一緒に遊びに言った帰りに立川さんが言ってた、タランティーノとヴィンセント・ギャロっていうのは、映画監督っていうよりは、映像を使ったアーティストなんだっていう説がすごくおもしろかったんです。
T: 特にヴィンセント・ギャロはすごくその・・・前の「バッファロー’66」を見た時に何か違うなって思ってたんだけど、「ブラウン・バニー」を見て、あ、そうかって思ったんだ。
この人って絵も描いてるし音楽もやってるし、いろんなことやってるわけじゃない? でもいわゆる異業種監督っていうわけでもないんだよね。
彼の映画って、よく言うハリウッド的なるものとか、非ハリウッドみたいなことも飛び越えて、全然映画の文法論に当てはまってないんだと思うんだ。
「ブラウン・バニー」って、ちょっとヨーロッパ系の、例えばマンディアーノとか、ああいうのが今の時代にアメリカに生きてたとしたらこんなことをやってた んだろうなっていう感じ。それとかコクトーとかあの辺がみんなで遊びながら作ってた芸術映画の見事な延長線上にあるもんだと思うんだよ。
で、そういう作品を映画的ロジックで論じてることの方がむしろおかしいと思うし、意味がないっていうことに、映画業界が気づいてないっていうことがすごく面白いんだよね。
M: ふーん、なるほどね。「ブラウン・バニー」ってすごかったですもんね。
T: 爆発してたよね。
M: 何て言ったらいいんだかわかんないけど、面白かった。ぼく、パルコPART3の向かいの映画館で見たんですけど、カップルとか映画が終わった後に困った顔してるんですよ、みんな(笑)。顔見合わせて「あ・・・なんか変なもの見ちゃった。どうしよう」みたいな感じで。
T: 映画の中に出てきた例のシーン、あれ、日本だから修正かけてるんだけど、クロエ・セヴィニーは本当にやってるわけじゃない? あそこまでナマナマ しいフェラチオっていうのは、エロ映画でも・・・。だから、エロじゃないんだよね。なんかそう、痛いじゃん? こう、勃起性がないフェラチオだよね。
あそこで彼女がああやってフェラをするっていうこと自体から、「許して」っていう感じからきてる、あれが・・・すごいんだよ、なんか。濃密で。

でね、「ブラウン・バニー」とか「ラスト・サムライ」とかを見てると思うのは、映画評論家っていうのは何なのかなって、ね。今、映画評論家って要るのかなっていう気がすごくしてきていて。
ライターっていう人がいて、映画の紹介屋さんとしてのそういう人たちの存在を否定する気はないんだけど、評論してないのに、評論家っていう肩書きは要らないんじゃないかと思うんだよね(笑)。
いつからそういう風になったのかな、と考えてると――やっぱり「ラスト・サムライ」の話になっちゃうんだけど、例えばいくらニュージーランドでロケしたか らって侍の映画に椰子の木が出てくるのっておかしいわけじゃない? ぼくは(評論の)全部を見てるわけじゃないけど、あの映画に関してあまりにもその、泣 けたとかきれいだとか日本のスピリットがあるだとかいうコメント一色になってるところがどうもね。
年端もいかない子供たちが言ってるんならまだしも、あれ見ていい大人が本当に日本人の侍スピリットを感じたのかね? それもみんながみんな。
決して悪い映画ではないと思うんだ。つまんなくないし、眠くならないんだよね。それはすごく不思議なことなんだけど、(かなり長い映画なのに)眠くならないのね。だからそれなりに、映画のリズム感だとか、テンションだとかは持ってる映画なんだと思うんだ。
でも、デタラメ度で言えば、「ラスト・サムライ」って実は「キル・ビル」と双璧を為すぐらいデタラメな映画なんだよ。あんだけ銃で撃たれても主役のトム・クルーズが死ななかったりとかさ。あれ死なないわけないじゃない?
どっちかって言ったら、今までアメリカ人が作ってきた荒唐無稽な日本の侍映画と何ら変わらないのに、あれだけが違うって言ってる根拠が分からない。
M: ぼくひっくり返ったのは、あの最後のところで政府軍が皆土下座して敬意を表したところであれは土下座しないよなぁとか、トム・クルーズが何で明治天皇の御前に刀持ってひょっこり出て行けるんだとか・・・。
T: そうだろ? だから一個ずつが、タランティーノみたいなもんなんだよ。そう思えばいいのに、なんかすごくインテレクチュアルなもののように言われちゃうと、おいおいちょっと待ってくれよ、と。
誰かが、「笑っちゃうよね」って言ってあげないといけないんじゃないかと(笑)。
M: 誰も「なーんちゃって」って言えなくなっちゃう(笑)。「キル・ビル」で、飛行機の中でみんなが刀持ってるのとおんなじことですよね。
T: うんうん、だからそういう話をしたかったわけ。「座頭市」でお百姓さんが音楽に合わせて鍬を振ってるのと同じなんだよ。「キル・ビル」と「座頭 市」って、わりとみんな同じ延長線上で話したり書いたりしてるけど、「ラスト・サムライ」だけほとんどなんか「ベンハー」状態になってない?
そういう意味では、音楽もその傾向があるのかなと思って。なんか、評論ていうのがない感じがするんだよ。
M: 音楽とかの方がよりそれが顕著な感じがしますね。
T: 前思ったんだけど、鬼束ちひろっているじゃない? 彼女って、スザンヌ・ヴェガとかああいう脈絡にいる人だから、ライナー・ノーツのちゃんとした ものとか、きちんとしたクリティックとかがものすごく必要なんだけど、現状ではヴィジュアルがどうとか、裸足で歌ってるとかっていうことばっかりで、そう いう彼女の優れた言葉性ってことに関して何も出てきてないわけね。
あと、ユーミンが今度セルフカバーのアルバムを出したんだけどすごくいいんだよ。ものすごく。
M: うん、いいですね。
T: でもあれもただ出されちゃってるっていうだけで、「いちご白書をもう一度」を今ユーミンが歌ったっていうことに関してユーミンの時代性っていうものについて書くっていうようなことを誰もしてない。
以前、ジョン・レノンのソロ・アルバムが出た時にアメリカでLAタイムスとかに、ロバート・ヒルバーンのものすごくいい批評が載ったっていうような。たとえばそういうことはこの国にはないのかな?って思うわけ。
歌舞伎や演劇は日本でも週一回とかわりとちゃんと批評とか出てるのよ。でも音楽はなんか出てなくて、映画は・・・なんかやっぱりちょっと違うんだよな。
M: そう。でも「ラスト・サムライ」はぼく、楽しかったですよ。2時間34分。
T: だからさっきから言ってるけど、悪い映画じゃないし楽しかったのよ。
ぼくは、東の「ラスト・サムライ」、西の「キル・ビル」、大関で「座頭市」って、その3本をそう位置づけているんだけど(笑)。
あれはカイサクですよ。怪人のほうの、怪作。怪作で且つ珍作。で、そういう風に思ってみればとっても面白い映画なの。ばかげてて。
昔、「不良番長」って、梅宮辰夫と山城新伍が出るはちゃめちゃな映画があったの。で、最後に富士の演習場かなんかのところで爆撃されてめちゃくちゃになっ ちゃうわけね。「あ、どうしたのかな」って思ってると、山城新伍と梅宮辰夫が穴みたいなところから出てきて「主役は死なないことになってるんですよっ」っ て言ったのを(笑)、ほんと思い出したもん。
(見ていて)真田君は死ぬな、と思ったのね。で、渡辺謙も死ぬのかな、と。でもトム・クルーズは死なないなと思ったら、その通り死なないんだもん。なんか変な感じだったなぁ。
M: 日本人俳優の演技には諸説ありますけど、そのへんどうですか?
T: 真田君がトム・クルーズと二人で木刀でやるとこなんかは彼じゃないとできない。あの映画の良心じゃないかな。そういう良心みたいなものは部分部分にあったよね。それとトム・クルーズの警護の爺さん居たじゃん、福本さんだっけ。あの人ですよ、侍っていうのは。ストイックで。
M: あの人良かったですよね。
T: あのね、映画の話しちゃうと尽きないんだけど、昔、黒澤明の「夢」っていう映画をみて仰天したことがあるのよ。あの映画の夢の中にでてくるところと「ラスト・サムライ」のボケ方って、ぼくの中でダブるんだよ。いろんな意味で。
侍モノで言うとぼくは、わりと批判的な人が多いんだけど、「乱」て好きなの。あれはぼくは侍オペラだと思ってるわけ。城下町が無いし変な映画なんだよ。でもね、あの城ひとつを舞台として考えると、あれはオペラなんですよ。
M: 仲代さんが大オーバーな演技で。
T: そう、あれは、つまり史実もへったくれもないし、リア王だから、要は。だから、そういう風に見れる映画だったんだよ。でも、それをそういう風に書いた評論家は居ない。皆、礼賛するだけで。でもそうじゃない。
それで、今度公開になる「嗤う伊右衛門」っていう作品があるんだよ、蜷川幸雄さんの。唐沢君と小雪の。唐沢君が意外と良いんだけど、これがね・・・映画と して面白いんだけど、ただ、ぶっ飛んでるの。時空の動かし方とかもそうだし、蜷川さんが舞台でやるようなことを、でも舞台じゃできないようなことをやって る。だからそういう意味じゃ演劇なんだよ。それをまた映画の文法の中で語ろうとした時にどういう批評が出てくるか楽しみなんだよ。
(映画だから)特殊メイクとかできるわけじゃん。自分の顔をガーッと剥いで、「でも貴方のとこに居させてくれ」っていうシーンって、舞台じゃできないじゃん。でも映画だったらできるわけよ。それから空の人着(人工着色)のかけ方とかもイっちゃっててさ。
でもね、お正月とかビデオ録っといて見てたらすごい発見して。
「秋日和」ってあるじゃん? 小津安二郎の。あの原節子って、すごく貞節な婦人なわけ。それがパールのマニキュアしてるんだよ。
M: え?
T: パールのマニキュア。クラブのママみたいに。小津が注意しなかったのかなと思って。あのパールのマニキュアはなんなんだろうと。
M: でもそれ、当然小津監督がやらせたんでしょ?
T: でも、役としたら全くおかしいでしょ? あの原節子が、クラブのママみたいなパールのマニキュアをしてるってことがすごくおかしい。
M: そこになんか、破調を入れるような必然性ってあるんでしたっけ?
T: なんにも無いよ。
新聞で見たんだけど、小津安二郎の映画を語るっていうシンポジウムがあったんだって。その中でフランスのなんとかっていう人が小津はパンクだって言ってるわけ。そのマニキュアの話もその辺に近いものを感じるんだ。
M: 小津監督って「東京物語」だとかももちろんなんですけど、戦争中の「淑女は何を忘れたか」ってあるじゃないですか。あの時代にあんなウェルメイドなコメディーを作るっていうのってすごいと思いますね。
T: 「非常線の女」っていうのもいいよ。
M: へえ。
T: 前にBSで全部やってて、昭和8年、1933年。田中絹代と岡譲二の。フロリダ・ダンスホールが出てきて、タイトルバックなんてタンゴが流れるしさ。もうすっごいモダンなの。
小津安二郎ってみんな笠智衆のイメージでほのぼの系だと思ってるけど全然間違ってるよね。パンクだよ。
M: モダンですよね。スタイリッシュというかなんというか。
T: そう、すごいスタイリッシュ。
後は映画ではね、3月ぐらいにやると思うけどニコラス・ケイジの初監督作品「ソニー」。男娼の映画なの。男売春婦。俳優が監督やると、なんかかっこつけた映画、やるじゃん。良い人が出てきて。
でも「ソニー」は良い人が誰も出てこない(笑)。ニューオーリンズの娼館が舞台で。
ものすごく面白いなと思ったのは、ソニーってジェームス・フランコがやってるんだけど、そいつが好きになる娼婦がいて、そうすると普通は脱ぐじゃない? そのヒロインが。でも乳首さえ出てこない(笑)。
ところがソニーは男娼だから、金持ちのおばちゃんたちに呼ばれるわけよ。コスプレで来てとか言われて警備員から服を借りて警官コスプレとかで行くわけ。そうするといきなり60ぐらいのおばちゃんが脱ぐんだよ。きったないおっぱいとかが出てきてさ。
で、ソニーがやろうとすると道具使ってやってとか言って、電気スタンドの芯なんか入れちゃったりするところを見せてて、不思議なんだよ。すごく変。そのなんか、歪み感が面白かった。
M: へえー。デビッド・リンチみたいな感じ?
T: デビッド・リンチですよ、ノリは。デビッド・リンチの影響はすごい受けてるね。で、偉そうに作ってないとこがすごく面白かった。
みんななんか、芸術映画を作ろうとしたりだとか、すごく人道的なことに行くんだけど、全然行ってなくてまったく破天荒。役者としてはつまんなくなっちゃったけど、これからおもしろいかもしんない、あの人。
M: 以前、おもしろそうだっておっしゃってた「10ミニッツ・オールダー」ではどの作品
が良かったですか?
T: ぼくは、ヴィム・ヴェンダースとジム・ジャームッシュ。一番ひどいと思ったのは、チェン・カイコーだね。
M: ぼくもほとんど一緒です。
T: 「10ミニッツ・オールダー」って、今キャメがどれが良かったですかって聞いたように、自分とこの人って、感覚がどうかなって試すにはいい映画だよね。
M: 立川さんが言ってたふたつと、プラスしてヘルツォークの作品もぼくは好きでした。
T: ヘルツォークは、ちょっと前にほんとに大復活して、すごく面白い作品を作ったっていう(その作品の)印象のほうが強いのと、ぼくはヘルツォークって、あくが強いもののほうが好きなのね。
あの「10ミニッツ・オールダー」って、あくの強い監督が皆、あくっ気の無い作品を作ってるよね。そこで10分をどういうふうに作るかって、すごくセンスが出るなと思った。
M: ヴェンダースのって強烈でしたよね。
T: ほんとだよね。
あの画面のゆらゆら揺らしちゃう感じとか、ああいうこと、なんか映画じゃなきゃできない遊び感ていうのがすっごい好きだったの。
あとジム・ジャームッシュ、やっぱすごいな。
M: ジム・ジャームッシュの話って、どっかにああいうモデルっていうか元ネタってあるんですか?
T: 無いでしょ。普通にまず考えそうなことなわけよ。でもあれがやっぱセンスだと思う。前に話したかもしれないけど、MTVが10周年かなんかのときにいろんなアーチストがMTVのために映像を作った時に、最高だったのがマドンナでさ。
「イン・ベッド・ウィズ・マドンナ」を撮る前に同じ監督に撮らせたんだけど、ソファみたいな椅子に座って1カメ、モノクロで「MTVがあったから私も今の ポジションがある。だからすごく感謝してるの」とかなんとか言って、で、この指輪がどうのこうのって自分の指輪とか見せるんだよ。それで「きっとマイケ ル・ジャクソンは、どっかですっごいセット使ってライブやるんでしょうね? そういう人だから」って言うの。
そしたら、マイケル・ジャクソンは本当にサンタモニカの格納庫を借りて、すっごいステージ作ってライブやるの。制作費から言ったら、もう、かたっぽ200 ドルぐらいでかたっぽ200万ドルぐらい。そこになんかものすごく、マドンナの生命力っていうかセンスの良さが見えた気がして、今回のジム・ジャームッ シュのケースも同じで、全然金なんかかかってないんだけど良いんだよね。
M: チェン・カイコーのあれは何なんでしょうね?
T: 失われ行くものに対する・・・でも、でもあれがいいって言う人もいるんだよ。
T: この店、いつできたの? 先月? へえ、いいな、こういうとこ。ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブがかかって。赤いビロードのカーテンとか掛かってて・・・。
T: 「キル・ビル」は最初の15分すごくいいんだよね、テンポの良さとか。
M: ぼくあの栗山千明の格闘シーンとか好きなんですよね。
T: だからあれもさ、井筒さんがすごくまじめに怒ってるじゃない。こんな映画を良いってやつはダメだとかさ。別に良いとは言ってないんだから、そんなに言わなくてもいいと思うんだけどな、あの人も。
M: あれって「オースティン・パワーズ」みたいなもんでしょ?
T: うん、まさにね。
T: 何かすごく今さ、この国が正常じゃない感じがしない? ものすごくなんか、ヘンなことになってる感じがする。
M: 何でこんななっちゃったのかなぁ、みたいな?
T: 急激に、この2年で急速になったと思う。やっぱりあの、サージェント小泉になってからじゃないかな。
M: いろんなWebサイトを見てると、若い人たちが――若い人たちばっかりじゃないかもしれないけど、ものすごくネガティブだったりダークだったり閉じてたりっていう感じがするんです。それはネットっていうメディアに特にそういう傾向があるのかもしれないんだけど・・・。
T: いや、だからそれはさ、月曜日にムッシュの誕生日に一緒にご飯食べようっていうんでユーミンと(渡邊)美佐さんと4人でキャンティでご飯食べてた時に、途中からその話になったんだけどさ。
電車に乗っても、雑誌の週刊誌の中見出しが全部ネガティブになってるんだよね。これから潰れる会社はどこだとか、誰が何とかを暴露だとかね。ドリームが無 いと。全く。もう、ワイドショーみたいなものも全部なんか、批判することがかっこいいことみたいになってて、とにかく褒めないでしょ。
M: なんかシニカルさで皆固まっちゃってるような。
それと似たようなことだと思うんですが、これもネットで、自腹で自分たちで食べに行きましたと、それを皆で書き込んでそのお店の批評をしましょうみたいな ことがいくつもあるんだけど、そこに書いてあることを見ると、客層が悪いとか、お店の対応が悪いとかだったりするんですよ、たとえばフレンチで。でもよく 読んでみると、それは客層やお店が悪いんじゃなくて、その人がその店で浮いててまともに扱われてないだけだったりするんですよね。
百歩譲ってそこの客層がほんとに悪かったり客あしらいがぶっきらぼうだったとしても、
それはそれで幸せに暮らしてる(笑)お店のマイナスになるようなことを、何でみんなが見るようなところに書く必要があるんだろうか、とぼくは思うんですよ。
T: そう、店でまともに扱われないっていうのは、自分たちに知識が無かったり、何らかの意味で問題があるからなんであって、店で大切にされない人って いうのは、怒る前に冷静に考えてみればいいんですよ。そこを間違えてる人は多いよね。ホテルに行って、良くない部屋だったとか、案内された席が変だったっ ていうのも、それはそれだけの価値があるって判断されなかったから良い席に行けなかったんだよね。だってむこうは客商売だもん、それはそうだと思うよ。
M: 客商売って、お店が「客を選ぶ権利」を持ってるってことですよね。
なぜその飲食店に行って、絶対に平等なサービスを受けられるべきだと思ってしまうのかっていう。そんなんじゃないんだ、って。客は客で媚びることはないけ どそれぞれのお店の「風」だとか「流れ」みたいなものには馴染んでしかるべきなんじゃないかって思うんだけど。そこんとこってわりと、みんな勘違いして る。
T: してる。だから、すごく誤解を生みやすい言い方かもしれないけど平等とか無いんだよね。平等が無いって言って悪ければ、意味も無く自然発生してくる平等なんて無いんですよ。
そのことを皆もっとわかった方がいいと思う。それを曖昧に、民主主義だとかって言いながらみんながなあなあでやってることの方が実はすごく危険なんだと思う。
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