WORKS~立川直樹全仕事~

1991年 SIDESTORY 3

「紅夢」(レッド・ランターン)

m : (音楽監督を務めた)「レッド・ランターン」の仕上げ作業が4月ということは、その前の90年ぐらいから作業はしてたわけですか。
t : うん、90年の冬に太原に行ったからね。
m : 「レッド・ランターン」の撮影の時って、合宿生活だったみたいなことを前に聞いたような気がするんですが・・・。
t : 合宿っていうかさ、映画を作る時に日本みたいに通ったりできないから、役者やスタッフがみんなピサの斜塔みたいに傾いちゃってるホテルに泊まって、そこで朝ごはん(を)みんなで食べて、バスで移動してロケ地に行くんだよ。
m : 立川さんはそこに一緒にいたわけじゃないんですね。
t : ぼくがいたのは数日間だね。
m :

そのピサの斜塔みたいなホテルって、「レッド・ランターン」の舞台のあそことはまた違うんですか?

t : 違う。あそこは「もやし御殿」って言われてて、もやしで財を成した人が作った大邸宅の跡が民族記念館みたいになってるの。
m :

へぇ、そうなんですか。
内装とかいろんな家具とかは?

t :

それは美術部が作ったりしたんだね。
でもそこって、あの映画がきっかけになって世界的観光地になっちゃったんだよ。

m :

そうなんですか。
でも「レッド・ランターン」、本当に素晴らしい映画ですよね。

t :

ぼくはあの映画が彼の作品の中でやっぱり一番好きだね。
 「初恋のきた道」とかもわかるんだけど、ぼくはチャン・イーモウって、中国デカダンスの人っていう印象が強すぎるせいか、ああいう普通の良い人を扱った映画を作っても、なんか違うんじゃないかなと思っちゃうんだよね。

m : 「あの子を探して」とか。
t : うん。
m : あのへんもそれはそれで感動的な作品だと思いますけどね(笑)。
t :

いや、だからわかるんだよ。そういう意味では新作の「単騎、千里を走る。」だって、いい映画だと思うよ。だけどぼくは基本的にやっぱりダークなものが好きなのかもしれない。

m : ダークなのはやめちゃったんですかね、チャン・イーモウさんは(笑)。「HERO」なんて、なんであのチャン・イーモウが!って思いませんでした?
t : ひどいよね。
m : 何であんなことになっちゃうんですかね?
t : なんだろうね。でも、過剰な成功ってのは判断力を誤らすものなのかもしれないな、なんとなく。
m : うーん。
また全然違うのかもしれないけど(北野) 武さんがひたすらダークに行くっていうのとは、対照的なような気がして・・・。
t : シニカルなんでしょ、あの人は。
常にどっかで冷めてるし、自分の居場所はここでいいっていう、うまく言えないけどやや破滅型みたいなとこがある。なんか永井荷風とか江戸破滅人種みたいなとこがあるんじゃないかな。
だから、成功すると「TAKESHI’S」みたいの作っちゃうわけじゃない? ぼくはあの映画だって嫌いじゃなかったけど、あれって、明らかに“貯金”(を)はたくよね。
お客さんも全然入んなかったみたい。
m : まあ、入んないでしょうね。でも、ぼくはあの映画、好きだったなあ。「ソナチネ」の次に好きかもしんない。
でもまあ、そういう意味でいうとチャン・イーモウさんが人としてノーマルだったってことですかね。
t : そういうことだね。売れたら“良い人の映画”を作る。
m : そして次はワイヤーアクションとかの、より大衆的なものを作る(笑)。
t : だって最初の「紅いコーリャン」、「レッド・ランターン」なんていい意味で狂ってるよね。あれは狂気の傑作ですよ・・・。
これは前に何かの本でも話したことがあると思うんだけど、「レッド・ランターン」でぼくが一番印象に残ってるのは、ぼくは頭に薄ーいシンセをチンチンチンチンって入れたかったの。頌蓮(主人公=コン・リー)が門のところを歩いてくるところ。
でも、チャン・イーモウはそれは絶対入れたくないって言うわけ。で、口論みたいになって。
それでぼくが「これこれこういう理由で入れたい」って言ったら、彼はきりっとした苦笑いで、「立川さん、これは中国人の血の問題なんだ」って言うわけだよ。 だからぼくは「わかった、イーモウ」と(笑)。あなたの映画だからいいよ、と(笑)。
m : それ、反則ですよね。そう言われたらねぇ。
t : 「中国人の血の問題です」って監督に言われたら、“腕ひしぎ逆十字”かけられちゃったようなもんで、もう「勝負あった」だよね。
だから、さっきの心残り論で言うと、あの作品に関しては頭にシンセで作った音楽(を)入れたかったっていうのと、「家」っていうめちゃめちゃいい曲を日本 で本多と作ってオーラスのために用意してあったの。でも、(その「家」はチャン・イーモウが、この曲を使うと)ちょっと西洋的になりすぎるって言って使わ なくて。
これを入れてたら、あの映画はベネツィア(国際映画祭)で、(銀獅子賞ではなく)グランプリを取れてたと今でもぼくは思ってるんだよなぁ。
(グランプリを取れていたら、前年の「悲情城市」に続いて)2年連続だからね(笑)。森永(博志)は、「連続で金と銀とれたんだから十分じゃないですか」って言うんだけど(笑)、でも2年連続いけたはずだったんだよなぁ。あの映画だったら。
そういう意味では「悲情城市」は、(侯孝賢監督が)100%以上、ぼくの好きにやらせてくれたからね。
m : 面白そうですね。そうすると「レッド・ランターン」は何パーセントくらい?
t : 70%くらいかな。
m : でも70%はできたんだ。
t :

うん。
でもやっぱり、外国人と仕事するといろんな意味で面白いよね。いちいち“濃い”から。

2年連続のベネツィア受賞とその後

m : 音楽監督を務めた作品がベネツィアの「金」、「銀」を連続して受賞して。
t : うん。
m : そこで周りの反応というか盛り上がりというか、「次はこれやってください」とかのオファーは、当時、どんな感じでしたか?
t : ウォン・カーウェイが事務所に「やってくれ」って言いに来たり、あと、ピーター・グリナウェイも来たね。
とにかく中国映画は10本弱、(話が)来たし、他にもすごく来てた。
でも、「映画音楽屋」になるのは嫌だったんだよな。
m : いつものパターンだ(笑)。
t : いつものパターン(笑)。
でも、それでも伊丹さんとは年に1本ぐらいのペースでやってたし、そういう映画音楽の間に、1時間もので11本、全部変えてやった「新ビーグル号探検記」もあったりしたわけで、だから、そんなにできるもんでもないし・・・。
m : やっぱり、当時の立川さんの頭の中で、仕事のポートフォリオとして、映画音楽に割くパーセンテージが高すぎるのはどうかなっていうのはあったわけでしょう?
t : それもあったしね。他にもいろんな事情があってさ。
ウォン・カーウェイの時も、単に断ったんじゃなくて、脚本も面白かったから、やってもいいかなと思ってたんだよ。
見岳章っていう「川の流れのように」を作った作曲家と、3曲ぐらい、デモテープを作ったりもしたの。
でも、中国映画にありがちなパターンとして、スケジュールがどんどんずれていくわけ。で、そんな時に、他のことを犠牲にしてまで、ウォン・カーウェイのプロジェクトに入り込んでいく気はなかったんだよね。
グリナウェイの場合は、まず脚本を読んでそれから彼と話した時、これは映画として変な映画だなと思ったの。
m : グリナウェイの世界観って、立川さん、好きでしょ?
t : もちろん好きだよ。
でも「ZOO」とか、「コックと泥棒、その妻と愛人」、ああいうのに比べたら、(その時、話がきた作品は)なんか変な日本の話になってたんだよな。
だから外国人と仕事する時って、ぼくに日本的なものを頼もうと向こうが思ってる場合って、あんまりうまくいかないのかもしれない。
m : この年の回想からはちょっと話がそれますけど、立川さん、今も映画の音楽の仕事をあえて・・・あえて「あえて」って言いますけど(笑) ・・・やるのはなぜなんですか?
t : 好きなんだよ、映画が。
m : でも、“仕事”っていう観点からしたら、きっとすごく効率が悪いですよね?
t : うん、あのね。今って、いろんなクリエイティブの現場で、制作手法とかコミュニケーションの方法とかが、どんどんデジタル的になってきてるのね。
音楽なんかは典型かもしれないんだけど。
そういう中にあって映画の現場っていうのは、ぼくにとって、まだアナログでドラマティックな良さを感じられるのかもしれない。
m : そういう現場で音楽を担当するっていうことが?
t : うん。今、ぼくが映画で音楽を担当する時って、ここ何本かのものでいうと――――――これはキャリアの問題もあるし、パーソナリティの問題もあるかもしれないんだけど――――――ぼくがややプロデューサー的な交通整理の役割を果さなきゃならないっていうのがあるわけ。
でも、それも嫌じゃないんだよね。
まあ、やってる時はなんかいらいらしたりもするんだけど。過ぎてみると、そんなに嫌じゃなくて、それなりに良かったかなって思えてきて。  この前もある人と話してて、もう映画自体のプロデュースをやったほうがいいって言われて。ちょっと思いついたアイデアがあったんで言ったら、早くそれで 脚本も書いてくださいよって言われちゃったんだけど(笑)。
だから、映画監督はやりたくないんだけど、映画を作ることに関してのデザイアみたいなものは、すごくまだぼくの中にあるのかもしれない。レコードを作ろうっていうデザイアよりもね。
m : それはどうしてでしょうね?
t : 今の時代ってもう、音楽は“1曲買い”みたいな状況になっちゃってると思うんだよね。
だから、本当に作る気になれば良いアルバムは作れると思うんだけど、良いアルバムを作れたとしても、それを売る手段というのが(今は)映画ほど無いんだよね。
メディアに対するアプローチとか、映画の方はまだ、手を変え品を変え、安っぽい意味じゃないタイアップの取り方とかがあるから、そこに希望みたいなものを抱けるのかもしれない。
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