WORKS~立川直樹全仕事~

1991年 SIDESTORY 2

まるで恋をするようにプロデュースを始める

t : 今振り返ってみると、ぼくの場合、その時その時で「こういうもんだったら彼!」みたいのが必ずいるんだよね。少しづつスライドしながら。
m : それは意識して?げていってる?
t : うーん。自分が“呼ばれる”っていう感じが近いのかなぁ。
m : まあ人脈がものすごいから、自然に繋がっていっちゃうっていうのも当然あるんだと思いますけど。
t : あとはね、見つける力だと思うんだよ。
たとえばさっきの本多俊之にしても、「マルサの女」の前に何か一緒にやった時に「あ、本多かな」って思う瞬間があるの。
m : それは、しばらくは本多さんと一緒にやりたいなっていうことですか?
t : そうだね。
S.E.N.S.にしても、たまたま「海のシルクロード」っていう番組をテレビで見て、サントラを聞いた時にそんなふうに思ったのかもしれない。覚えてないんだけど。
ぼくね、“100”に行ってないものが好きなんだよね。
つまり、“100”行ってる人って、プロデューサーをそんなに必要としていないわけじゃない?
でも、才能は明らかにあるんだけど、その時点で“75”とか“85”とかまでしか来てない人は、ぼくが言ったことが通じたら、それが“120”になったりするわけよ。
ぼくはそういうものを見つける才能は、ちょっと自画自賛になっちゃうけど、結構すごいのかもしれない。
m : なるほどね。
t : これは書きたくなかったら書かなくていいんだけど、それってキャメロンに対しても言えることだと思う。
それはたとえばキャメロンと会って話してる時に、「この人はきっとぼくと何かを一緒にやることによって、今もうまくいってることがもっと違う地平に達する可能性があるんじゃないか」と思うんだよ。
だからぼくも結構言いたいことを言うわけで。
遠慮しながら、こうすればああすればって言ってると、あんまりうまく行かないから。
m : それは光栄です(笑)。でも、“75”とか“85”とかっていうのは、どういう秤(はかり)で75”とか“85”なんですか。
たとえばアーティストとか芸能人でいえば、人気の出方が発展途上中っていうことなのか、それとも潜在能力が開花され切っていないっていう意味なのか。
t : 潜在能力が開花され切っていないっていう意味だね。
人気とか周りに認められてるかどうかは実はそんなに関係なくて、“自分が彼だったらこうする”っていう明確な何かを、ぼくがその人に対して持つことができた時はすごくうまくいく。
だから、開花され切ってないっていうのは、ちょっとおごった言い方だよね。それなりにはなってるんだよ、その時点でも。
でもぼくがやったらもっとよくなる、何かを与えることができる、っていう想いみたいなものを持てるかどうか。
「ああ、いいなぁ。でもここをもう少し・・・」って思う感じ。
それって、もしかしたらちょっと“love”みたいなもんかも知れない。
m : 「可哀相たぁ、惚れたってことよ」ですか・・・。ちょっと違うか?
t : で、“love”だからちょっとしたことで冷めたりするの。
「もういいや」みたいな。
でも、ビジネス的(なスタンス)に(自分が)なってる時はあんまり冷めないよね。始めちゃったんだから・・・って。
m : “love”は冷めますか・・・。
t : (この人と一緒に)「やろうかな」って思うその瞬間がいいんだよ。
この前見た、やの雪っていうミュージシャンにしても、彼女が美術館の階段みたいな空間の前で演奏したら、相当良いだろうなとかって思うことが好きなの。
彼女は今もああやってやってて、それはそれで良いんだけど、ぼくがなんかのイベントで緻密に計算した状況でやったら、「え、やの雪って、こんなにすごいの!?」っていうふうにできると思うのね。
だからそういう意味では(ぼくは)、ある種、計算高いかもしれない。まったくまっさらなものって、もしかするとそんなにやってないかもしれない。
m : それはイメージ力ですよね。
今おっしゃったように、「この人はこうやったらもっとすごいぜ!」っていうのが自分の中でぱっと浮かぶという。
じゃあ、逆に立川さんがプロデューサーとしての役を降りようと思う時っていうのは、もう、この人とはやりつくしちゃったな、とか、イメージしたものが完成したっていう時なんでしょうか?
t : うーん、必ずしもそうじゃないんだよ。
やっぱりさ、もともと能力のある人間が正しい方向に向かってがんばってると、たいていはあるレベルに上がっていくもんだし、そうすると自信もつくじゃない?
そういう時に、その彼なり彼女なりが「(これからは)自分で、やっていこう!」と思うんだったら、(ぼくはそこで)「行かないで!」とか、あんまり言わないタイプなの(笑)。
m : ああ・・・。やっぱり、どこかで「自分でやっていきます」みたいな空気感が生まれてくるもんなんですか。
t : うん、生まれるね。
いろんなことを話す中で、(ぼくが)「ぼくはこうしたい」って言った時に、相手が「でも、違うんだよなぁ」って頑強に言う瞬間ってのがあるわけですよ。
m : 「こういう風にした方が良いんじゃない?」、「いや、でもぼくはこうしたい。」って?
t : そう。それはもう、全然、口論にもなんにもならないんだけど、そうした時に「ああ、たぶんもう違うのかもな。ここまできたら、ぼくがああだこうだ言う必要はないな」って思うんだろうね。
お金のことだけ考えたら、そこからもうしばらくは一緒にいたほうがいいんだろうけど・・・。
m : それはきっと、いたほうが得ですよねぇ(笑)。
t : でもそうなると、もうクリエイティブな感じっていうのがなくなっちゃうし、テンションも落ちちゃうと思うんだよ。
m : 変な話、喧嘩別れした人っています?
t : あんまりいないねぇ。それは、ぼく、飯田にも言われるんだけど、パーティの帰り方と一緒で別れ方がうまいのかもしれない。
m : パーティの帰り方ですか(笑)。なるほどねぇ・・・。
じゃあ逆に、心残りな人、「もうちょっと何かできたし、もうちょっと一緒にできたら面白かったのに」っていう人はいますか?
t : うーん。いる・・・よ。名前はちょっと出せないけど。
m : それはどうして心ならずも・・・とまあ、そこまで強いものではないにせよ、袂を分かつことになってしまったんでしょう?
t : これもあんまりはっきりとは言えないんだけど、たとえば、ぼくの中では同じ1万ドルを手にするんでも、楽なだけの1万ドルを取るのと、実のある1万ドルを取るのって違うんだよね。
でもそこで、アーティストに安直な1万ドルを選ばれちゃったら、そこにあんまりクリエイティブなプロデューサーって、必要ないよね。
それはアーティストがそっちを選ぶこともあれば、周囲の人たちがそういうふうに持っていくこともあって。だけどそうなると、どうもねぇ・・・。
m : クリエイティブよりお金を産むための“作業”が優先されちゃうっていう・・・。
でも、スタッフなり、周囲の人たちは安直にお金が儲かるほうを選びますよね(笑)。
t : 勿論、そうですよ。だからぼくは、そこであまり争おうとも思わないし。
その典型が昔の歌謡曲の世界の人たちで、総じて、安直な一万ドルを選んじゃったんだと思うの。
歌謡曲の世界の人たちがクリエイティブじゃなかったとは思わないし、うまい人もいたと思うんだけど、でもやっぱり八代亜紀にしても「舟歌」なんだよね。みんな(歌謡曲の人って)1、2曲でさ、それってすごくもったいないと思うんだよ。
日本人の体質って意外とそうなのかもしれないんだけどな。一つ作ると満足しちゃうっていうかさ。
海外だと前の作品を越え続けてる・・・まあ、越え続けてるっていうと言い過ぎかもしれないけど、1曲、2曲に留まらない人は多いと思うんだけど。
m : 海外だとストーンズ、ディラン・・・。他にはどんな人がいますっけ?
t : ジャズの人なんか、結構いるんじゃないの。
ストーンズは突出してめだってるだけで、ネヴィル・ブラザーズとかさ、プログレスしてると思うよ。プリンスだってそうじゃん?
なんかこう実験的な方に向かっていっても、「あ、ちょっとまずかったかな」って思ったら、自分の売れ線に戻って、それでまた新しい方に向かっていくってい う、こう、“出し入れ”みたいなことをすごくしてる気がするんだよね。それって、やっぱり狩猟民族と農耕民族の違いなのかなぁって思うよね。
m : プリンスとか、なんか“懲りない”感じがすごくありますよね。
t : 俳優なんか見ててもさ、出る映画の選び方なんかにしても、ダークなものを平気でやって、それでまた大衆路線に戻ったりするじゃない?
だって日本にいたらジョディ・フォスターは乳(ちち)、出さないぞ、ニコール・キッドマンにしてもキャサリン・ターナーにしてもあのクラスは。
あの人たち乳出しても変わんないじゃん。日本だと乳出すことによって変な反応をしすぎだよ。
m : 過剰反応しますよね。やっぱりエンターテイメントに対するリスペクトの感覚が違うのかもしれないですね。
t : なんか濡れ場がどうしたとかさ、すごく発想が短絡的だよね。
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