WORKS~立川直樹全仕事~

1991年 SIDESTORY 1

1991年を振り返って

t : この頃って、バブルは終わってたのかな?
m : ちょうど、本当に終ったなっていうぐらいのところじゃないですかね。
t : 今こうやって見ると、いろんな意味でのイベントをやるという時に予算が非常についてた時代の名残ぐらいはあった感じだよね。まあぼくらは、そんなにバブリーなものに手を出してたってわけじゃないんだけれども。
m : まだついてた?
t : まだついてたと思うね。
特にキリンラガークラブは1989年から始まったイベントで、キリンビールの人も基本コンセプトを理解してくれて、ライブだけじゃなくて一緒に雑誌も作ったりしてカルチャーのメディア・ミックスみたいなことができていて。
それが一番こう、ぐいぐい上っていく時だったから、これだけ数ができたんだろうね。
m : 「クラブ・フロムエー」も同じく音楽イベントですね?
t : そうだね。この前にすでにグリコ・カルチャー・エクスプレスっていうイベントをやってたんだけど、クラブ・フロムエーも同じカテゴリーのもので、やっぱりこの頃っていうのは音楽はコミュニケーション・ツールとしてとっても分かりやすいものだったんだよね。
今はもうiPodとかも出てきてデジタルは当たり前みたいなことになってるけど、CDが出たのってそんなに昔じゃなくて1989年なんですよ。
ということは、(この頃は)まだ当然アナログっぽいコミュニケーションが色濃く残ってて。
ライブに行って音楽を聞くとか、どの音楽が好きかっていうことについてみんなで議論したりして夢中になれたりしてた時代だったのね。
m : 思ったんですけど、(この頃は)お客さんの側の音楽の好みが今ほど細分化してなかったのかなっていう気がするんですけど。
ある属性の人たちに対してこういう音楽を提供すればこういうインパクトなり販促効果を与えられるとかっていうことが、今はすごく細分化してるじゃないですか。
t : うん、それはそうだね。
音楽を取り巻くいろんなことが、(今に比べて)変にマーケティング的だったり冷めた目で見てるっていう感じじゃなかった。ドリーミーだったよ。すごく。
m : そんな感じがしますね。
この音楽イベントは何が何でもこれだけお客さんが入らなきゃいけないとかっていうのが・・・もちろん、考えてはいたんでしょうけど。
t : うん。考えてたけど、入らなかったからもうだめっていうことではなかったよね。
それとこういう言い方は嫌いなんだけど、このぐらいの年って、バブル期にみんながガーっと仕込んでおいたものが売れてきた時期だったのかもしれないっていうふうにも思うな。

m : それにしてもこの1991年という年は、例年にも増してすごい仕事量ですね。
t : うん。
m : 単純に今(2006年2月時点)より仕事してました? 時間的に。
t : うーん・・・。でもこうやって年表で整理すると確かにやたら多いね。今って、こうやって年表で整理するとどうなるのかな?
m : 地域開発の打ち合わせとかって、年表にしにくいところがあるからなぁ(笑)。
t : そうなんだよな。だからこの頃はそういう仕事で具体的なものはなかったから、そういう意味では数になりやすいっていうのと、後はシリーズものでやってるのが多いから、そういう意味では連続ドラマを何本か同時進行してたみたいなところはあるね。
m : なるほどね。
t : その“連続ドラマ”の自分のスタッフを、似たようなテンションで横移動させちゃってたっていうのもあったような気がするし。
で、この頃は責任の度合いっていうのが今とはまた違うから、たとえば遊びに行く時間は、今よりあったかもしれない。
m : でも、こうやって(年表を)見ると、全く空白がないんじゃないかっていうぐらいですよね。
t : やっぱり、すごくライブが多いんだよね。
それと、この当時の手法としてすごくわかりやすいのが、ICHIROっていうギタリストのデビュー・アルバムをぼくがプロデュースしました、と。
それで、フロムエー(のイベント)は、“これからのアーティストを育てる、応援します”みたいなことだっていうことで、じゃあ、ちょうどいいから(デ ビュー・アルバムとイベントを)シンクロさせてやろうっていうことになって、レコード会社もぜひ!って言うから・・・っていうような流れができていったの ね。
こういうのはまあ、やや反則に近いのかもしれないんだけど・・・。
m : 良いものは良い。
t : 良いものは良いんだっていうことで、そういうのがうまく組み合わさって進んでる感じが(この年は)あるかもしれない。
m : ああ、そういう“良い流れ”の結果、っていう見方もできるわけですね。
t : そう。それも異常な程の流れ、ね。
 たとえばこの「山の音、山の声」というイベントは、高野山の壇上伽藍っていう国宝の中でやったんだけど、これは、「曼荼羅~若き日の空海」っていう映画 の打ち合わせや声明の勉強とかで高野山に行ってる間に、ここでイベントできたらいいですねっていう話が向こうの人から出てきたのがことの始まりだったの。
それでぼくも、「映画のプロモーション(を)なんかやりたいですよね」って言って、そんなやりとりの結果として、国宝の中でライブができちゃったわけですよ。
それが、このライブだけを単独で一から企画してやろうと思ったら、お坊さんを揃えるとか火を焚くとかって、絶対無理だったと思う。
m : 文字面だけ見てもなんだかすごそうなイベントですよね(笑)。
t : 声明とフリージャズを合わせたみたいのって、これが初めてだったと思うんだよね。
この後、この手のものは佐藤允彦さんが大々的にやっていくようになって、ぼくとしては人が良い形で真似してくれるのはまあよくあることだし、いいことだと思ってるからいいんだけど、でも、最初にやったのはぼくだという自負はあるね。
m : 立川さんの仕事のひとつの特徴だと思うんですけど、立川さんの独特の人間力が次々に新しいプロジェクトを作り出していくんですよね。
一度、何かの仕事で関わった人が、ああ、立川さんがやってくれるならこういうのも・・・っていうことがすごく多いじゃないですか。
t : そうだね、確かにぼくの場合、繋がっていくんだよね。
例えば一人のアーティストと組んで何かのプロジェクトをやると、その人に「今度はこんなことやってみない?」って言って、それが連鎖していくパターン(が多い)。
だからこの年でいえば「新ビーグル号探検記」っていうテレビ番組の音楽をやる(話があった)時に、少し前に「悲情城市」でうまくコラボレートできたっていうことがあったから、これはもう絶対S.E.N.S.でやろう、と思って決めたり。
たとえば大林組のCI(イメージ曲)を作る時も、その頃の本多俊之って、映画の世界では“立川組”みたいなもんで、ぼくが「ラテンっぽい感じでだいたいこんなもん」って言ったら、その通りにできる状況だったから、ごく自然に頼んでたんだよね。

この年の「紅夢」(レッド・ランターン)の音楽も、基本は中国の人たちと組んでやって、ストリングスとかシンセのダビングとかは、日本で本多君にやってもらったんですよ。

m : それ、書いていいんですか?
t : うん。クレジットにもちゃんと出てくるよ。
m : そういういろんな才能が交錯してる感じがすごく全面に出ている年ですよね。
t : うん、そうかもしれないな。
そういう意味では「大林宣彦の世界」っていう展覧会にしても――――――これは大林さんのそれまでの映画の脚本とか、大林さんが初めて使った8mmカメラ とかも展示して、映画の上映も含めて大林宣彦の世界っていうのを俯瞰的に見る展覧会だったんだけど――――――大林さんとぼくとのつながりでやったわけな んだよね。
だから去年やった和田誠さんの展覧会とか、前にやった横尾さんのケースと非常に近いかもしれない。
それとこうやって話してて思ったんだけど、80年代にヴィスコンティやいろんなことをテーマとしてメディアミックスっていう手法でやってきたことが、本と かレコードの世界からはみ出して、イベントとかより立体的なメディアまでを侵食し始めてる、ちょうどそんな時期なのかもしれない。

若き才能と出会う時

m : 勅使河原三郎さんとはこの時が最初ですか?
t : うん、最初。
これはそれこそ今なんか絶対できないだろうけど、仕込みだけで3週間くらいやって。
勅使河原さん、大阪に2~3週間くらい泊り込んで、キリンプラザで展示するものを全部そこで作ってたの。
m : すごい。
t : なんか人体のオブジェみたいなのとか。
あの人もシャイだから普段は言わないんだけど、何かのインタビューで、「あの展覧会が、自分がダンスを創作するっていうことを見つめる非常にいい機会になった」っていう意味のことを言ってくれてるのを見た時は、すごく嬉しかった。
m : へぇー。
t : なんか直接言われるよりさ、人づてに聞いたりするほうが好きなのよ、ぼく(笑)。
m : うん(笑)、わかるわかる。
t : (この年は)勅使河原さん、三澤憲司の「春の雪」と、そんなに派手ではなかったけど、日本的なものとモダンなものが融合するものができたんだよね。どちらも今でも好きな展覧会だよ。
m : ヤノベケンジさんの展覧会をプロデュースなさったのもこの年ですね。
t : これはヤノベがキリンコンテンポラリー・アワードの第一回グランプリを受賞して、その受賞展っていうことでやった、彼の最初の展覧会なんだよね。
当然、彼にとっていろんな意味でのきっかけになった展覧会だったと思う。
m : すごくこう、趣味的なものっていうか濃いものと、大メジャーにいく前の上り坂のケースがうまく混在しているように見えますね。まあそれは今の時点から見るからかもしれないんだけど。
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