WORKS~立川直樹全仕事~

1990年 SIDESTORY 7

悲情城市

『悲情城市』は1947年に起きた2・28事件をテーマにした映画。
2・28事件は太平洋戦争後に中国大陸から渡って来た外省人勢力と以前から台湾で暮らしていた内省人の対立を根とした、約3万人とも言われる死者を出した歴史的大事件である。
蒋介石から蒋経国という親子2代による国民党独裁政治体制の下、台湾ではこの2・28事件はタブーとして口に出すことさえはばかれるような状況だった。
1988年、蒋経国の死を受けて李登輝が初の内省人総統に就任。
1989年、『悲情城市』が台湾で公開されて国内で爆発的なヒットを記録した。
2・28事件の真相解明を求める声が高まっただけでなく、この年のヴェネチア映画祭では『悲情城市』は金獅子賞を受賞し、侯孝賢監督は世界的な名声と評価を得る。
1990年には李登輝総統の指示により2・28事件の報告書が発表され、この報告書を一つの契機として台湾の政治状況は雪崩を打つように民主化のスピードを増していく。

m: 『悲情城市』について、聞かせてください。
t: あれはね、この映画の前の年に知り合いになった台湾の邱(チュウ)さんっていう人が「侯孝賢っていう監督を国際的にし たい」と言ってきたのが最初なんです。で、ぼくが伊丹映画とかやってるのをチュウさんも知ってて、「ビデオはないのか?」って言うんで、『マルサの女』の ビデオとか、ぼくが作ったレコードとかを渡したら、「音楽をやってほしい」っていうことになったの。
(彼が言うには)侯孝賢っていうのは台湾ではメジャーなんだけど、国際的な舞台に行くには音楽が弱い、と。それでぼくはその前の『冬冬の夏休み』とか何本か見たの。
今となってみればいつもの勘なんだけど、なんか「やってもいいかなあ」と思ったんだよね。 で、やることにしたんだけど、たまには外国の仕事も面白いかなあっていうぐらいで、そんなに深く考えてなかったの、実は。
最初、「ラッシュを見に台北に来い」って言われたわけ。でもまた例によって時間がなくてね、「行けない」って言ったの。その「行けない」で終わるケースもあるわけよ、仕事って。まあ飯田もよく知ってるけど。
でもこの時は「行けない」って言ったら「東京に行く」って言うんだよ。それで、今も付き合ってる、高(コウ)さんっていう通訳の人と――鳥みたいに痩せて るんで密かに鳥バアって呼んでるんだけど(笑)――脚本家と、何人かで来たの。で、まあ今は売れちゃったけど、S.E.N.S.っていうグループが、 NHKでやってたのを見て、「結構いいな、こいつらと仕事してもいいな」と思ってて、それとこれとが自分の頭の中ではスパークしてたの。
で、サントラ作れば――実は映画自体の制作費も足らなくなってたんで、じゃあサントラは日本で作れば帳尻が合うなと思って「わかりました」っつって、当時 のファンハウスの社長に言ったら「S.E.N.S.使ってくれるんだったらいいよ」って言うんで、ぼくはこれはいけると思ったんですよ。
で、ファンハウスの会議室みたいなところでラッシュを見たら、ラッシュが5時間ぐらいあるんだよ。それで、台本は全部漢字。だからなんにもわかんないんだよね、話は。
その上これが笑っちゃうんだけど、向こうのミスで、持ってきたビデオに音が入ってないもんだから、音が入ってないビデオ、5時間見るんだよ?
で、横に鳥バアがいて、たどたどしい日本語で「立川さん、これはね、誰と誰が・・・」「わかんねえから、図に描け図に!」。
m: はははははは。
t: それで、だんだんわかってきたんだけど。で、映像はすごい。ね? でも、これは絶対音でつながないと、日本人もヨーロッパ人もわかるわけがない、意外と思いっ切りやったほうが良いなと思ったの。
それで「じゃあ、やりましょう」と。で、当時はさ、台湾の技術的なインフラって全然ダメだったから、S.E.N.S.が作ったメインテーマのデモを3曲、 向こうの留守番電話に入れるんだから。大変だよ、電話して「今から回しまーす」とかつって、それを侯ちゃんが聞いて「2番目がいい」とか言って「ああ、 じゃあそれで進めましょう」。『悲情城市』は留守番電話でできたんですよ、ほんとに(笑)。
m: へえー。
t: これは結構、台湾の記者会見で話すとウケたね。
i: 当時、『悲情城市』の闇のテープが中国全土で60万本以上出たらしいんですよ。
t: あれ、金になってたら、今頃ビル建ってるよね。まあ、すごい映画でしたよ。で、あれよあれよという間にヴェネチア(で賞を)獲って、その後、結局台湾の政治体制が変わっちゃうわけですよ。
獲る前は秘密でやってたんだから、編集作業もすべて。まあ言わば反政府行動だからね。
i: それを台湾華僑の高さんがやってるっていうのがすごいですよ。アジアの立川事務所を全部やってる高さんっていう人は、華僑の出ですから。
t: で、台湾の政治体制が変わった。そしたら今度は侯孝賢がプロデュース、チュウさんがエグゼクティヴ・プロデューサーで 『紅夢』ですよ、張藝謀(チャン・イーモウ)の。で、今度はメイン・チャイナに行くっていうことになったんだけど、ぼくはその頃、すでに謎の東洋人でさ。 前の年台湾、次の年中国だから空港とかでも全部別室だったね、行くたび。
m: で、この年に「ぴあ」の主催で『電影新世紀―侯孝賢映画祭』が開かれます。パンフレットの中に全上映リストがあったんで、これは掲載しておこうと思うんですが。
t: うん。
m: 『悲情城市』って、後期協力が『ぴあ』ってなってますね。
t: あれはね、足りない資金を少し出してるんだよ。矢内さんってそういう意味では、文化のノリシロ分ぐらいは常に出してるんだよ。
i: よくあんな得体の知れないものに出しましたね。
t: ・・・やっぱりね、仕事は勘だね。

立川直樹と政治

m: でも、ああいう激動の政治体制の中じゃないですか、『悲情城市』も『紅夢』も。
t: 検閲(の人が)、いたからね。
m: それは立川さん的に問題無いんですか?
t: なんの問題もない、面白いもん。
m: そういう政治体制に対して、なんか意見があるっていうことでもない?
t: ぼく、軽いもん。だから学生運動華やかりし頃、ぼくの歳だとみんなやってたでしょ? ぼくはその時に、横浜からスポーツカーで火炎瓶を運んでたもん。
m: (笑)投げたりはしない?
t: 投げんのは、だって、疲れるし(笑)。
m: まあ、そうだと思ったんですけど(笑)。
でも、その当時そういういわゆるノンポリの人ってすごく虐げられたっていう話を聞くんですけど。
t: だって、火炎瓶、一番運んでるもん。
m: (笑)運べば良いんだ?
t: もちろん。金的にだって支援してたし。
m: ははははは。
t: 横浜で火炎瓶作ってるとこがあって、フェアレディのトランクにそれ積んで、後ろの座席にも入れて、隣にモデルの女を乗 せて。そうすると第三の出口のとこで検問やってんだよ。で、向こうは一応止めるじゃん。もうぼくなんか長髪で、隣にはおっぱい見えそうな女が乗ってるわけ よ。で、「どちらへ?」って聞かれて「今から撮影です!」って言えば、絶対、火炎瓶積んでるなんて思われないよ。
「なにやってんですかこれ?」
「いやあ、なんか学生が騒いでんですよ」
「しょうがねえ奴らだなあ。この後も検問あるんですか?」
「あと2ヶ所あります」
「なんか紙かなんか無いんですか?」
で、紙くれるの、通行証みたいなの。だからもう全然OKですよ。
m: その辺の監督の映画をやっていらして――まあ非常に政治的な映画じゃないですか。
t: ぼく、政治的な映画好きなんですよ。コスタ・ガブラスの『Z』とか『戒厳令』とか。基本的に政治好きですから。
ぼくね、基本的にはものすごく好きですよ、政治はね。だけど、自分が中心になりたくないの、死ぬまで。
m: それは政治に関して?
t: 政治だけじゃないですね。仕事でもなんでも。
なんかこう、偉そうなとこに行きたくないんですよ。前もどこかで話したかもしれないけど、すごくわかりやすく言うと、『愛のコリーダ』の藤竜也がやってた吉が好きなの。あの、軍人とすれ違ってく感じが、ものすごい好き。
だから、たとえば今、愛知万博の仕事をしていて、表に出るのは簡単なんですよ。 「俺が全部やる」とか。でも、そうやって矢面に立ったりするのが嫌なの。顔がいろんなとこにいっぱい出たりとか。
昔から映画でもちょっと脇役のカッコいい奴が好きでね。
だから歌舞伎でも、死んじゃったけど、権十郎さんとか、最近売れちゃったけど、富十郎さんとか、ああいう脇で締めてる人が好きなの。
ロックミュージシャンで言えば、10代のときに、クラウス・ブーアマンがすごく好きだったの。クラウス・ブーアマンってさ、ほとんどの人が知らないけど、 昔マンフレッド・マンでベース弾いてて、『リボルバー』のジャケット描いてるの、美形の。それで、その後プラスティック・オノ・バンドでもベース弾いて て。
m: へえー。
t: でも、ほんとに知る人ぞ知る、なんだよ。ドイツ人で、ビートルズのハンブルグ時代にジョン・レノンとかに影響与えてて。で、今はたぶんどこかで悠々自適なんだろうけど、ある時期にスターになろうと思ったらなれた人なんだ。
だからデヴィッド・シルヴィアンも、彼はデヴィッド・ボウイになれたんだけど、ならなかったとこが好きなの。だってなろうと思ったら、JAPAN解散して ソロになった時に、『レッツ・ダンス』みたいなレコード作って、ビデオクリップやってれば、絶対スターになったよ、間違いなく。・・・なんかねえ、ちょっ とねじれたやつが好きなんですよ。でも、そういう風に考えたら、デヴィッド・ボウイだって実はちょっとズレてるんだけどね。


●「電影新世紀―侯孝賢映画祭」全上映リスト
・ステキな彼女(1980年作品)
・風が踊る(1981年作品)
・むこうの川岸には草が青々(1982年作品)
・坊やの人形(1983年作品)
・風櫃の少年(1983年作品)
・冬冬の夏休み(1984年作品)
・童年往事~時の流れ(1985年作品)
・恋恋風塵(1987年作品)
・ナイルの娘(1987年作品)
・悲情城市(1989年作品)
・恋は飛飛(1982年・脚本作品)
・少年(1983年・脚本作品)
・タイペイ・ストーリー(1985年・出演作品)
・SUNLESS DAYS(1990年・出演作品)

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