WORKS~立川直樹全仕事~

1986年 SIDESTORY 6

キネマ・クラシック

t: これはちゃんとしたコンピレーションだったんですよ、本当に。
ポリドールでカラヤンに代表される豊富な音源があるんで、そのクラシック担当の人と、つまりその映画に出てきたクラシックの曲で、例えば、『貴族たちの黄昏』とか、そういうコンテンツタイトルを付けて、5枚ワンセットで作ったんです。
これはね、結構凄かったんです。めちゃくちゃ売れたんですよ、めちゃくちゃっていっても、クラシックとしては破格の、当時確か2000枚とかさ、1200枚って言う時に、やっぱり10,000枚とか売れたんです。
で、これはまあ、ジャケットのビジュアルは、羽良多平吉って、YMOやってた人に頼んで、あの頃色味、色校が大変で、なんでこんな目にあわなきゃいけないんだっつって、ディレクターほとんどノイローゼになったみたいに。かっこいいよ、これは。
で、もう稲葉賀恵さんとかさ、金子國義さんとか、もう当時の親交の厚い人達に、全部推薦文を書いてもらって。得意の手法ですから。
これは、なんか、ダ~ン!と出した方がいい、かっこいいから。曲目も全部。

渡辺貞夫氏との仕事

i: 立川さん、貞夫さんと(仕事を)5年くらいやったじゃないですか。全米No.1にもなったアルバムも。あと、いろんなエピソードとかを立川さんの口から(聞かせてください)。
t: 自分が仕事する時に、年が上の人っているじゃない。伊丹さんとか貞夫さんとかって。
自分がやっぱりその、十代とか、そのくらいの時に、かっこいいなって思ってた人と、やりたいわけじゃない?
それはだから、キャメロン三島が思ってることと近い部分がすごくあったんだけど、貞夫さんって、ぼくが小学校から高校ぐらいの時、日曜日の朝に、『バン・ミュージック・ブレイク』って番組やってたんですよ。
細かいディテールは覚えてなくて、貞夫さんと話してる時に、貞夫さんもどうだったかなとかって言ってるぐらいなんだけど、毎週日曜日のたしか午前中だったと思うんだけど、その、絵合わせで、例えば、こうレースの映像が流れてる前で、こう全部インプロで、が~ってやるの。
なんかさ、ジャズってすんげぇな~って思ってさ。で、貞夫さんもまだ、バリバリで、なんかこう危ない匂いのある人だったの。それがもの凄いこう、テレビでやってたっていうのが、インプットされてて。
その後、なんかやっぱりボサノバっていうか、あのゲイリー・マクファーランドとやってバークリーから帰ってきた頃のが、すっごい好きだったの。秋吉敏子とやってたやつ。で、その後実はぼく、『オレンジ・エクスプレス』とか、あの頃嫌いなんですよ。
i: (立川さん)、フュージョン嫌いですからね。クロスオーバーは許すけど、フュージョンは許さんと。
t: で、ただ、そこで貞夫さんが何かやるっつって、その仕事手伝ってくれみたいになった時に、やっぱぼくは自分が好きだった貞夫さんを、やって欲しいと思ったから、だからぼくは単純に、無駄なものを取っただけなんです。
だから、例えば「ブラバス・クラブ」やってても、本当にこれはもう飯田なんかも目撃者なんだけど、例えばワーキング・ウィークみたいなバンドが来ました。ま、当時イギリスじゃあ、バリバリのトップテン入ってるバンド。
で、貞夫さんはノリ軽いから、ワァーって来て、「立川君、こういうのが今人気あんだな」って言うわけ。
ぼくが「(貞夫さん、)アンコールでかまして一発(、やってください)」って言っても、「何で俺こんな奴といっしょにやんなきゃなんねぇんだよ」って。
で、「それは一応、プロデュースド バイ サダオってなってるんだから、ホストとして遊んでやればいいじゃぁないですか」って(ぼくが)言うんです。
(すると)「じゃぁいいかぁ」って、サックスでうぁーっとやると、ミュージシャン同士だから、プロレスといっしょで、(周りのミュージシャンは)ビビッちゃって吹けないのよ。
その時、えっ、渡辺貞夫ってこんなにかっこいいんだって思う瞬間だったな。
i: それ、目撃しましたよ。
t: しただろ?もう、(みんな)棒立ちだもん。
でもぼくは貞夫さんと仕事していて思ったのが、貞夫さんって優しすぎた・・・。
ぼく、格好だけでジャズやってる気分になってるような若いミュージシャンが出てきた時に、(彼らを)打ちのめしちゃえばって言ったの。ジャズフェスでおび き出して、最後に、オールスター・セッションやって、貞夫さんが、フォーバースでかましたら、彼は返せないんだからっつったら、貞夫さんは「何で俺がそこ までやんなきゃいけないんだ」って。
「貞夫さん、それやんないと、彼の方がかっこいいとかって言われちゃってるんですよ?」って言ったら、「いいよ、俺は」って。
(ぼくは)本当にやって欲しかったんだけどな・・・
m: ミュージシャンとしてはもっと冷酷であっても良かった、と?
t: いや、ミュージシャンってこと(だけ)じゃなくて、それはエンターテイメントの世界があって、アーティストとして生きていくには、そういう部分もあっても良かったんじゃないかと思うってことなんですよ。
やっぱり、一席しかないんですよ、こう順列があるから。
実際、そういうせめぎ合いはエンターテイメントの世界にはあることだからね。
i: もう一つ立川さんに聞きたいなと思うのが、貞夫さんってまだ、気になります?
t: 気になるよ。
i: ですよね。
ぼくが引っかかっているのは、ぼくは貞夫さんから入ってるんで、立川さんの、なんか、その気持ちというかが知りたかったんです。
t: この前、ヨーヨー・マ行った時に、ちょうど、トイレに行った時に、貞夫さんと一緒だったのよ。したら、貞夫さん来て、ひそひそっと二人で、「オケがひどいよね」なんて、他愛の無い話、してさ。
そん時、なんかまだ一緒に、もう1、2回は・・・(と思った)っていうことはあって。それはお互いに、なんかあるんじゃないのかな。

オスカー・ピーターソンがね。生きてる内に、渡辺貞夫の1001をやりたいんですよ。で、ビデオ撮りたい。レイ・ブラウンも死んじゃったでしょ。だからもう本当、5年くらい前に言ってたんだけど、オスカー・ピーターソン・トリオを再結成させて、「SADAO WATANABE meets OSCAR PETERSON TRIO」だとか、そんなのやりたいよね。
●ぼくは貞夫さんから入ってるんで
立川直樹氏の右腕と誰もが認める立川事務所の飯田さんは、渡辺貞夫さんのイベントの会場でアルバイトをしていた時に、そのイベントのプロデューサーだった立川氏と知り合った。
立川氏は当時学生だった飯田さんの現場での仕事ぶりに目を付け、「ぼくと仕事をしてみないか」と誘った。

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