WORKS~立川直樹全仕事~

1986年 SIDESTORY 2

『サマルカンド ブルー』

m: 吉田拓郎さんの『サマルカンド ブルー』への関わりは?
t: これは、この頃、加藤和彦とけっこう仕事してて、加藤君がプロデュースをして、死んだズズ(安井かずみさんの愛称)が詞を書いて、ぼくがトータル・コーディネーションみたいな事とパブリシティー・プランみたいなことを担当してたの。

安井かずみ

m: 安井かずみさんって今や伝説の人だと思うんですが、どんな方だったんですか?
t: うん、浮世離れした人ですよ。
だって、それは今だと、例えば日本のミュージシャンとか俳優とか、みんな普通さを要求されるじゃない?やっぱり写真週刊誌もあるし、なんか隣のミヨちゃんとか隣のタケシくんみたいのが、良しとされるところがあるよね。
でも、やっぱりその、ぼくなんか仕事し始めた頃とか、まだズズがこう、本当に大活躍してた頃っていうのは、芸能界っていうのはさぁ、全く一般社会と隔絶された特殊な世界だったわけですよ。
だから、ハリウッドとは言わないまでも、かなり一般との収入の格差とか、特権。まぁ芸能人が店に行けば、だいたいタダになっちゃったり、いろんなものが出 てきたりっていう、そういうワールドだったわけです。そこん中で、(安井さんは)書く曲書く曲ヒットでしょ、お金は入ってくるでしょ。
そういう意味では作詞家っていうのは、意外と早く印税制度って確立してたの。アーティスト印税っていうのは確立したのは、だいぶ後なんだ、日本は。だから作詞家と作曲家は早くから一番お金を持ってたの。
だから古賀政夫さんの家みたいのが建ってたわけだよ。
だから(安井さんは)もう本当にスポーツカー乗って、シャンパン飲んで、60年代の末くらいに。
で、軽井沢の別荘行って、またそこで遊んで・・・
m: 立川さんが、鈴木いづみさんに対して「浮遊感」って言葉を使ってらっしゃるじゃないですか、『続・シャングリラの予言』で。
あの浮遊感がみんな手に入らなくて憧れた、と。
そういうことなのかなぁと思うんですが・・・
t: ただ、ズズは出が良かったからね。
家が良くて出てきてたから、ちょっと鈴木いづみのああいう、こうヒッピーぽい浮遊感じゃなくて、やっぱり、ちょっと独特のものがあったね。
m: オノ・ヨーコさんに近い感じ?また、違うんですか?
t: ちょっと近いかもね。でも、そこでいうとズズはほんっと可愛かったから、みんなやりたいと思ってたわけだよ、周りの奴は(笑)。
で、とにかくズズと加賀まりこさんとタッグで遊んでた時は、本当に、そりゃぁ凄いもんでしたよ。まりこさんは、まりこさんですんごいしさぁ。
バキバキだからもう。可愛くて。
で、ぼく15(歳)くらいだったからね、そん時。遊び始めてて、あの二人にこう、「今夜どこ行くからおいでよ」って言われて・・・
i: そんな年からっすか?
t: ぼく、14からこの辺で遊んでたの。だから、峰岸徹さんとか野獣会と。順ちゃん(井上順さん)とかさ。

「芸能界」の今と昔

m: 野獣会・・・ああいう世界って、ぼくらからするとお伽話なんですよね。全然今と違うような気がする。例えば、今、売れてるタレントさんたちとは、何かが違うじゃないですか。
t: だって、今は普通の人だもん、って普通の子だもん。苦労して出てきてるし、やっぱりだって、プロダクションって(今、)えらいじゃない?
当時っていうのはプロダクションは、(タレントを)もうお姫様とか若様とかお殿様扱いしてたんだけど、今、仕切っちゃってるでしょ、全部。
渡辺プロの仕切り方っていうのは、確かに仕切ってるんだけど、多摩動物園だったんですよ。アーティストに、ある自由もあって、で、本当にナベプロに入れば、テレビはそのまんま出れちゃうわけよ。ナベプロが全部テレビ仕切ってるわけだから。
今は、テレビに出る為にプロダクションの担当は切磋琢磨するけど、そんなもんは無いわけですよ。
m: じゃあテレビ局とプロダクションの力関係がまた違うんですね。
t: テレビ局との力関係をいえば、(当時は)ナベプロの方が上なんだから。
m: 小林信彦さんの本で、井原(高忠)さんと渡辺プロのせめぎ合いの話があったじゃないですか?あの辺から変わってきたんですかね?
t: そうだよね。それはone of themの出来事で、やっぱり、(渡辺プロは)大きくなり過ぎたから、人がこう出ていくじゃないですか。
そのやっぱ、頭脳の海外流出みたいな流れともシンクロしてたのかもしれないし。それから、やっぱり、日本でいうと、ニュー・ミュージックとかが出てきた時に、それまでのシステムでは追いきれない部分が出てきちゃったんだね、管理するとかっていう。
m: 70年代後半くらい?
t: うん。で、音楽だけじゃなくて、(音楽を取り巻く)システムについても60年代の後半から海外から色んな情報がじわじわって入って来て。ダイレクトにね。
で、なんかやっぱり、そのプロデュサーだとか、エージェントだとかっていう事を、ミュージシャン達が覚え始めちゃったんだね。
それまでは、まぁ仮に会社員の給料が、そう70年代の頭ぐらいって、大学出た奴の初任給で3万円とか4万円くらいの時代だと思うのね。
そこで月100万(円)ボ~ンと貰っちゃえば、なんか自分がいくら稼いでるかっていうのは、アーティストなんて関係なくなっちゃうんですよ。実は当時のお金でも1,000万(円)とか稼いでるわけなんだけど。
でも、「ハイ今月のお給料」っつって、運転手付きの車があって、家借りてもらって、どこ行っても会社のツケで飲んでて、(給料の)100万(円)はそのま ま残ってるみたいにして純粋培養されて育ってるから、そういう事に対して、問題提起した人なんかまず、いなかったんじゃないかな。
●安井かずみ
やすい・かずみ。愛称=ズズ。
作詞家であり、加藤和彦氏の公私に渡ってのパートナーであった。
小柳ルミ子さんの「わたしの城下町」、沢田研二さんの「危険なふたり」などの大ヒット曲の他、膨大な数の作詞、訳詞を手掛ける。
1994年3月17日死去。

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