WORKS~立川直樹全仕事~

1986年 SIDESTORY 1

立川流仕事の選び方

m: いきなりなんですけど、『下町ライブ'86~第5回アマチュア・バンド・コンテスト本選大会~』の審査員の仕事を受けられたっていうのはどういう経緯でなんでしょう?
t: 誰かに頼まれたんだね。たいしたものではなかったと言っては失礼なんだけど、頼まれて、じゃあ審査員といった時に、本 多俊夫さんとかいたのかな、これと『サッポロビール・ジャズ・オーディション』って言うのは似たようなもので、この(『サッポロビール・ジャズ・オーディ ション』の)クロード・ノブスがプロデュースするモントルーのジャズ・フェスティバルとシンクロしてたみたいなもんだったので、おもしろいなと思ったし、 野口久光先生とか佳孝といっしょに札幌で飲めるじゃない!みたいな。
m: 立川さんの活動の全容をなかなか把握しにくいひとつの理由として、仕事の幅の広さがあると思うんです。
例えばこの1986年だけをとっても『下町ライブ'86の審査員』もあり、なおかつ『ミハイル・バリシニコフ JAPAN TOURプロデュース』のような、ハイブロウなものあり、非常に振幅が激しいように見えるんですね。その辺の仕事の選択の仕方に興味があったんです。
t: 食べるものと一緒だと思うんだけど、ちゃんとしたフランス料理のきちっとしたコースも好きだし、でも一例で言ったら、 この爐談のメニューみたいに、脈絡はないんだけどスピリットのあるものっていうのもすごく好きだし、それにチャイニーズでも、本当に昔から、ぼくが名づけ たんだけど、「街中華」も好きだし、ちゃんとしたチャイニーズも好きだし。
だからおいしいと思えば店に行くのと一緒で、なんかおもしろそうだと思えば、その仕事はするし。
あともうひとつは、ぼくが、これやってくれ、あれやってくれと頼んでる相手から、これやってくれよと言われて、いやじゃなければ、わりとそれは軽く・・・
フットワークが軽いと言うか、ま、軽いんですよ、そういう意味では。
ぼくは自分で思ってるんだけど、例えばすごく土地が安い時に買った人っているわけじゃないですか。
(それと同じで)何歳で自分が確立されたかは分かんないんだけど、すごく若い時になんか見込んでくれたとか、ぼくにちょっと賭けてくれたとか、そういう人ってすごく自分の中で大事で。
古いのかもしれないけど、こんどぼくはそういう人の息子や娘に対しても、すごく大事に考えちゃうとこがあって、クールな面とけっこうそういう情みたいのが (両方)好きなんだよ。だから『ゴッドファーザー』みたいな映画がスタンダードで好きなのは、そういうのがすごくあると思う。
m: じゃあ、あまり戦略がどうこうというよりは、そういう立川さんの生理的な感覚のところで、仕事の選択をされている部分が大きい、と。
t: ただ、ひとつ何かやると、自然に戦略的に考えちゃうものがあるんだね。
最初は付き合いかもしれないんだけど、ひとつやっておもしろくなってくると、結構それがこう、戦略的に組み上がっていって、ものが始まる。

日向敏文『夏の猫』リリース

t: で、そうするとぼくみたいに多ジャンルを行き来してると、普通だったら、例えばこの年(1986年)なんかでいくと、 日向君の『夏の猫』って、ぼくが自分でプロデュースした中でも好きなアルバムなんだけど、これはもともと、日向君のファースト・アルバム『サラの犯罪』っ ていうのがあったんです。
それの時に原稿を書いてくれ、とディレクターと日向君が頼んできて、で、書いていく時に、取材的に話をして、でなんかこう意気投合して、次のアルバムはぼくがプロデュースしようか、みたいなことになって。
で、(アルバムを)プロデュースすると、出した時になんに烽ネいのはあれだっていうことで、このファースト・コンサートをパブリシティとしてFM東京ホー ルでやるんだけど、前にキョードー東京にいた上條恒義さんていう、これは本当にぼくが生意気なクソガキの時に、喧嘩もしたんだけど、すごくかわいがってく れた、ビートルズなんか招聘した時の人がもう独立してて、その上條さんがぼくがやってるんならって気に入ってくれて、これのプロモートをしてくれた。
で、FM東京も仕事して仲よかったから、じゃあF東に話せば、ホールもなんとかなるだろうみたいな。それでうまくいってたんで、じゃあ、それは今度、野音で(も)やろうみたいな。
『サラの犯罪』のジャケットを撮ってた稲越さんと別の仕事もしてたんで、じゃあ稲越さんに頼もうっていうのと、ゴンチチは、今はもうすごく売れてるけど、 当時出始めのころで、ぼくの知ってる人間がマネージメントしてたから、彼等にオープニング・アクトをやってもらおうか、みたいな。
だから、ぼくのもののやり口っていうのは、全部こう、イージー・ライフなんだけど、パズルみたいなもんなんですよ。
m: その辺の計算されているところといないところのつながりがおもしろいですよね。
t: プロレスだね。
だから計算はあるんだけど、全部その通りにいくとは限んないじゃない。でも、やっぱりこうロープに振った時に、飛んできたらラリアットかけようとするかもしれないし、相手がつまずくかもしれないわけじゃない?それはわからないんですよ。
だからその、計算と勘と、なんか本能的なもんが、噛み合ってるのかもしれないね。
m: 『夏の猫』はジャケットを立川さんが手がけられたんですか?
t: ぼくが手がけたって言うとおおげさなんだけど、えーっと、アートディレクターがいたわけですよ、で、ほとんどできて て、こういう感じだという話をしてて、基本的に日向君も自分の顔を出してっていうより、なんかやっぱりアートっぽい、イメージっぽいレコードジャケットに しようってことは一致してたから、それで、いろんな有り写真なり、知り合いのカメラマンとかやったものを集めたんです。
ところが、やっぱりぼくも気にいらない、日向君本人も、あまり気に入らない。でも、まぁ日向君はぼくにそこらへんは任せてたからあれだったんだけど、当時のアルファ・レコードのADもちょっと違うなって言ってたの。
ぼくは、たまたまその前にチュニジアに行ってて、小さなカメラで、結構その頃まだ写真を撮るのが好きで、行ったことのないとこ、写真を撮るのが好きだったの。
で、モスクで、たまたま外人の女性が、後姿が凄いきれいだったから、顔は見えないんだから撮っても良いだろうと思って、撮ってた写真があって、なんとなくそれをそのADに「この写真なんだよな、気分は。」って言ったの。
ぼくは、自分でプロのカメラマンじゃないし、ちゃんとしたカメラじゃないから、まぁ、ってぱっと渡したら、「すごいですね、いいじゃないですか、使いましょうよこれ!」って言われたんですよ。
まぁ照れくさかったんだけど、まぁ、いっかぁみたいな。そしたらこれ、すごく評判になって。
で、自分で好きだって言ってるわりに、1年か2年すると忘れるわけですよ、いっぱい仕事してるから。
で、ぼく今これはすごく覚えてるんだけど、大阪に松井君って仲のいいのがいるんだけど、一緒に東京の「東風」のバーで飲んでた時に、『夏の猫』が流れてたの。
「すっげぇ~、いいなこれ。知ってる?これ誰?」って言ったら、そしたら松井君が笑って「ボス、何言ってるんですか、ぼく買いましたよこれ」って。
「なに、おまえ持ってるのこれ?」「ボスがやったやつじゃないですか。」って・・・言われたくらい、ぼくはいいかげんな人間なんです(笑)
でも、インストルメンタル・アルバムなんて忘れちゃうの、結構。あの頃いっぱい作ってたから。
ウインダム・ヒルを最初にやったのもぼくだしね。
アッカーマンの家とか行って、ジョージ・ウインストンが裸足で、なんかペタペタとアッカーマンの家の中を歩いていたようなとこからだから。
CHRONICLE 次ページ

Page Top▲

  • TOP
  • PROFILE
  • 立川直樹の内省日記
  • TIME WAITS FOR NOR ONE
  • WORKS
  • ARCHIVE
  • ABOUT THIS SITE