WORKS~立川直樹全仕事~

1982年 SIDESTORY 3

立川直樹のメディア・ミックスとは

t: 10代のなんにもしてない時から、なんでも好きだったんだよ。音楽も映画も本も美術も。それで自分が何になりたいかっ てなった時に、絵描きになりたいって最初思ってたんだ。でもそれってすごく反対されたんだよ、親とか叔父とかに(笑)。そんなもんじゃ食えない、と。それ も違うだろ、と思ったんだけど、でもまあ絵描きは絵描きだなとも思って。
で、次にロックが目の前に来た時に、ロック・スターのかっこ良さっていうのが自分の中で大きくなってきた。ロック的な生き方っていうのね。で、そこですご く影響を受けたのがクラウス・ブーアマン。マンフレッド・マンでベース弾いててイラストも描いてて、ビートルズのドイツ時代からの友人だったこともあっ て、『リボルバー』のジャケットも描いた。それが縁でジョンが作ったプラスティック・オノ・バンドでもベース弾いてね。そう、最近じゃDVDも出たジョー ジ・ハリスンの追悼コンサートでもベース弾いてた。彼はルックス的にもすごくかっこいいんだけどあんまり目立たない、表に出ない。あっ、これだなと (笑)。で、プロデューサーっていうのは裏と表を自由に行き来しててすごく良いんじゃないかと思ったんですよ。
プロデューサーになるためには自分でいろんなことをやったほうが良いなと思って、じゃあ自分でバンドもやってみるかと。やれば表ってどういうもんなのかわかるじゃない?
ラジオも同じで、作るのもそうだけど出るのも・・・って全部体験的学習をしてみて、車で言えば道の走り方みたいのを覚えたんじゃないかな。
m: 表現方法の組み合わせ自体に最初に興味があったっていうことではないんですね?
t: ぼくの場合、自分の中にあるものを並べてみたらそれがメディア・ミックスになってた。ぼくのはアナログ的な組み合わせ なんだね。自分の興味とか人間関係とか・・・。何かの仕事をやってる時に誰かが会いに来て、「こんなことできないかな」って言われた時に、あ、それじゃあ 一緒に組もうって言ってメディア・ミックスになるんで、こっちから探しに行って無理やりメディア・ミックスにするっていうのは・・・。
ウォーホールのファクトリーみたいに、そこに人が集まってきて何かをやるっていう感じがすごく好きだったから。

パブリシストという仕事

m: この年はパブリシストというポジションでの仕事が多くて、翌年の吉田拓郎さんの「サマルカンド・ブルー」のパブリシティへという流れが一つあるように見えるんですが。
t: そうだね。このあたりは表に出てる分なんだけど、(それ以外にも)雑誌の取材とか、日本に来た時のインタビューがあって、執筆活動があってそういうこともこっちの方につながってくるわけ。
だから考えてみればこういうメディアの縦断のしかたっていうのが(それまでのぼくの活動の)背景にあって、それがすごく明快な形になったのがヴィスコンティのプロジェクトだったんだよね。

ピエール・バルー日本公演と「おくりもの」

t: これはね、元々、「ブルータス」で「パリの男たち」っていう特集をやるっていうんで、会いたい人をぼくがリストするこ とにして、渡辺陽子っていうぼくがずっと仕事を頼んでたパリのコーディネーターに頼んだんです。ピエール・バルーとかセルジュとかフランシス・レイってい うふうにね。
この頃はしょっちゅう、パリやローマを行ったり来たりしてセルジュやマルコム・マクラレンやいろんな人に会ってたね。
でもやっぱり会ってみたらそれぞれに違っててさ。例えばセルジュは当時バリバリの現役なんだけど、ピエール・バルーは当時一番落ち込んでる時で、もうほと んど隠遁してたのを探して会った時にはもう仙人みたいになってたの。でもぼく、(ピエール・バルーを)10代の頃にすごく好きだったから、いろいろ話して いるうちに(あなたの)レコードを作りたいな、って言ったんだよね。
でも、彼はもう人を信用しなくなってるからさ。特にフランスではマージナルって呼ばれてたくらい・・・。
「パリではやりたくない」って言われて、でもやりたくて、何の当てもあるわけじゃなかったんだけど、売り言葉に買い言葉の良い例で、もう(やるって)言っちゃったからさ。なんとかやろう、と(笑)。
それでコロンビア・レコードに清水さんってディレクターがいたんだけど、彼もピエール・バルーのことを好きだったから、「いいんじゃない」っていうことに なって、今もよくあのレコード好きですって言われる「ル・ポレン」という奇跡的名盤が生まれ、日本公演も実現してしまった。おみやげみたいに「おくりも の」って本と連動したレコードまで作ってしまった。 たいへんだったけどね、もう。それだけで1冊、本が書けるくらい・・・。
m: この時の豪華なゲストは今だにいろんなWebサイトなどで話題になってますね。
t: コンサートのチケットはもう即日完売だったね。
m: そうでしょうね。
t: 確かにゲストのメンバーは当時もすごい豪華メンバーだって言われたんだけど、これは別に唐突に集めたとかっていうこと じゃないんだよね。加藤君とはその前から他のことで仲良かったし、幸宏は自分で「サラヴァ」ってアルバム作ったくらいのピエール・フリークだったから、ぼ くが「はなしつけてきたから手伝って!」と言ったらもう2つ返事・・・とかっていうような流れだから。それでムーンライダーズとはこの後、パリ公演ってい うのに行っちゃったりするわけ。それもまた流れで。
m: で、翌年の梓みちよさんとの仕事につながるんですね。こうやって年表を見ると違うフィールドのアーティストを立川さんとその人脈に連なる人たちが結び付けていっている感じがわかりますよね。
t: そうそう。だいたいこう(一緒に仕事をする人たちが)ファミリーみたいになってつながって、それでまた新しいことを自 分がやろうとする時に、このプロジェクトだったらこの人と組むとおもしろいなって言って化学反応みたいのを起こしていくっていう、ぼくなりのスタイルがこ の80年代初頭には完成されていたんだと思う。自分で言うのも変だけどね(笑)。
だから仕事の中でいろんなことがあっても、自分でその時に信頼してる舞台監督だとかミュージシャンとかとの関係性っていうのはずっと続くわけなんだよ。

●マージナル
「社会から取り残されたような」というニュアンスの言葉

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