WORKS~立川直樹全仕事~

1982年 SIDESTORY 2

ルキーノ・ヴィスコンティ メディアミックスプロジェクト

t: ヴィスコンティの時は、今、エイジアン・ポップやってる橋本光恵さんっていう人がキネマ旬報にいて、まあすごく仲良し で、まだ東風があった頃に、夜、編集者の人たちと飲みながらいろんな話をする中で「立川さん、来年は何をやるんですか?」って聞かれて、なんだか思いつき でぼくが「来年はヴィスコンティじゃないかな」なんて話してね。そしたら「たいへんですよ」とかいう答えが返ってきてさ。
たいへんですよって言われると、話してるうちに急激に自分の頭の中でこう形になってくるわけ。で、ヴィスコンティ(周辺)と直接コンタクトが取れる人って いうんで大篠さんっていう当時東宝東和にいた人にコンタクト取って、彼がヴィスコンティの妹ウベルタさんのダンナであり、『ベニスに死す』などの音楽も担 当したフランコ・マンニーノに手紙を書いてくれて。そしたらマンニーノから、この日かこの日にローマに来れるんだったら話は聞いてもいいからって2日ぐら い候補が上がってきたんだ。
で、またそんな話にまだ30ぐらいのぼくが行っちゃうんだから今思えば無謀だよね。
でも結局はそれをきっかけとしてマンニーノやヴィスコンティの娘さんのニコレッタと一緒にヴィスコンティの仕事をするようになったわけだよ。
それでまあいろんな紆余曲折はあったけど、一つの手法っていうか自分でやりたいことがかなりできて、バジェット的にもかなりマックス・ポイントに達してるプロジェクトになった。
たとえ行き当たりばったりでも、本当にやりたいっていう気持ちがあればできるんだって思ったね。
m: 大規模なメディア・ミックス・プロジェクトっていうのはこの時が最初だったんですか?
t: そう、それまでは(ぼくは)世間的に見れば、映画なんかの仕事もしてたけど、ロックの世界の人だと思われてたわけです よ。コスモス・ファクトリーってプログレのバンドのプロデュースとマネジメントしたり、ピンク・フロイドをはじめとするライナー・ノーツを書いたり、 『MUSIC LIFE』に記事書いたりする・・・。
でもこれをやったことによって大人の・・・っていうのも変だけど、今までとは全然違う世界の、例えばクライアント筋でも最終的には仕事はしなかったけど資生堂に関連してた人とかファッション関係の人とかが「一緒にやりたい」って言って来るようになっていった。
m: うん、今のキリンとか万博の仕事の「元」なのかな、っていう感じはすごくしますね。
t: うん、そうだよね。
m: で、ヴィスコンティのプロジェクトが大成功を収めた、と。そこで立川さんの中では達成感と言うか自分の「席」ができたなという実感はありましたか?
t: その時はあんまり無かった。俗っぽい言い方になっちゃうけど、このヴィスコンティの仕事である程度まとまったお金が得られたとかそういうことがあればそういう実感も涌いたと思うんだ。でもお金的には損してるわけだからね。やっぱり成功のモノサシって評価だけじゃないから。
ただ、我ながらここまでよくやったな、とは思ったよ。
それとかなりハードルの高い貴族の家に、お互いの信頼関係の上でうまく入って行けたっていうことは自分の中での自信にもつながっていったところはあると思う。
m: じゃあ、なんか儲かんなかったなぁとか、こんなことして良かったのかなぁみたいな迷いとか後悔みたいなものは無かったですか?
t: 全然無いね。やっぱりヴィスコンティはすごく好きだっていうのと、この一連の仕事を通じて得られたものは自分の中でとても大きかったから。
このヴィスコンティの一連の仕事は今でも優れたプロジェクトだったと自分でも思えるし、他にもそう評価してくれる人は多いんですよ。
たとえばこの「ヴィスコンティの遺香」っていう写真集は、篠山さんも自分の仕事の中でベスト3に入るぐらい自信を持ってる作品なんだけど、今は時間も経っ て絶版になってるんで絶対(また)出したい!って(篠山さんも)言ってて、最近は(篠山さんと)会う度にその話をしてるの。
それと今、イスキア島のヴィスコンティの別荘をむこうの市が買い取って、あのまま保存して文化施設にするっていう計画があって、そこに我々が作った作品を飾らせてくれって言ってきてるらしいんだよね。
m: なるほど。立川さんにとって思い入れも多々あるであろうヴィスコンティに関連して、また何か始めようとか思うことってありますか?
t: うん。2006年っていう年がヴィスコンティの生誕100年、没後40年なんですよ。
あと、ぼくはCGを使った映画が全部嫌いなわけじゃないし爆発モノが全部だめなわけでもないけど、「香り高き退廃感」みたいな世界にもう一回入っていきたいっていう気持ちが、今、また強くなってきてるんだよね。
そういういろんなことがあって、ヴィスコンティ再び、みたいな感じは実際あるんです。
ニコレッタももう40いくつになってるんだろうな、とか、ふと思ったりね。
そう言えばニコレッタと言えば一つおもしろいエピソードがあってね。
この(1982年)当時ニコレッタもすごく熱心にこのプロジェクトに取り組んでいて、打ち合わせをしたいんだけどローマに来れないのかってがんがん言って くるわけ。それで別の仕事でたまたまパリに居たらホテルにニコレッタから電話が架かってきて「パリにいるじゃない!」とかって言うわけ(笑)。結局、明日 すぐ来いみたいな話になったんだけど、なんでぼくがパリにいるってわかったのか不思議に思ってたら、なんとそれがヴィトン経由だったんだよ。
m: え? ヴィトンってあのヴィトンですか?
t: そう。ぼくはこんなに流行る前からもうヴィトン好きだったんだけど、ヴィスコンティもすごいヴィトン・ファンだったの。イニシャルが同じLVだっていうこともあったらしいんだけど(笑)。
そ れでヴィスコンティ家ではもう死ぬ程ヴィトンを買ってるから、当然パリの本店ともコンタクトがあって、で、ニコレッタはぼくがヴィトン好きだっていうのを 知ってるから、ぼくがパリに行ったら(パリの本店に)行くだろうと思って、ヴィトンに電話して「日本からNaoki Tachikawaっていうのが来たらうちに連絡しろ」って網を張ってたんだ(笑)。
その狙い通りぼくはパリの本店に行って、で当然Tax Defundだからサインするじゃない? それでホテルがわかっちゃったという、まあそれだけ彼女もぼくと仕事をしたいと思ってくれていたんだろうね。お兄ちゃんみたいなんて言ってたし・・・。
m: なんだかすごい話ですね。
t: 「ヴィスコンティ再び」に話を戻すと、その生誕100年の2006年だったら万博も終わってスペシャル・オリンピック スも終わってるから、(そういう大きなプロジェクトの)次に、「大きい仕事も良いけどこういうのも有りだよね」っていうノリでやるにはすごくいいなと思っ てて。万博の仕事でまた今まで知らなかった人たちとも知り合いになったりするし、これからも知り合うだろうと。そこで「パーソナルでインターナショナルな プロジェクト」っていうのをやりたいなと思ってるんだ。きっと楽しいプロジェクトになると思うよ。
m: ヴィスコンティが今も独特の存在であり続けている魅力の核の部分って何なんですかね?
t: 一般社会人じゃないっていうことでしょう。今はヨーロッパでもかなり普通に近づいてきてる貴族社会がまだ本当に独特の 世界観を、つまりある種の誇りとか、その中だけで許される不思議なものをまだ内包してた頃の感覚を表現してるっていうこと。あとはやっぱり特殊なパーソナ リティゆえの美意識とか孤独感。それも今では想像し得ないぐらい強かったであろう、ね。そういうことなんじゃないのかな。
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