TIME WAITS FOR NOR ONE~立川直樹同世代トーク~

第16回 前編

なんだかとんでもなく忙しい。
しかし、ぼくよりも絶対に忙しいはずの立川直樹はなんであんなに映画やら舞台やらをまめに見られるのか、そして毎晩遅くまで飲んでいられるのか。
「仕事だから」とか「立川さんはタフだから」とかいうレベルを超えている。
あれはきっと“執念”である。
立川さんの才能の一つに“継続する力”というのがあると最近あらためて思ったのだけれど、その継続力を支えているのは間違いなくあの執念だろう。

というわけで、久しぶりの「TIME WAITS FOR NO ONE」だが、今回のテーマは「脇道に逸れっぱなし、何も考えない対話でどこまでいけるか」であります。
今までは一応、後でまとめやすいように・・・というスケベ心もあって話のネタを用意していったり話が脇道に逸れたら適当に軌道修正したりしていたのだが、 今回はなにせ立川さんもぼくもグタグタに疲れていてそれどころではなかったので、出たとこ勝負にチャレンジしてみたわけです。
個人的には「案外、いけるんじゃん?」とも思うわけですが、いかがなもんでしょうか。

この日は彩の国さいたま芸術劇場で二人して「ローザス」日本公演を見た後、いつもの「爐談」で立川さんの話を聞いた。

T=立川直樹 M=三島太郎)


クレジットの持つ意味

T:

こうやって話すのって、原稿を書くのとはまた違うからさ、必ず何か新しい発見があってすごくいい。 好きだね。

M:

立川さんの話したことがこうやって文字になってまとまるのは、最近でいうと「団塊パンチ」の連載ですよね。

T: うん、そうだね。でも、たとえばちょっと前に「諏訪を輝かせる会」っていう集まりで大木さんっていう市長候補の人と街がどうなるといいかっていうようなことをしゃべった時も、ああ、今日はこういう新しい発見をしたなっていうのがあったりしたしさ。
M: ああ、そういう時にもあるんだ。
T: なんか街づくりとかっていうのはさ、こう、映画作るみたいなもんじゃない? シナリオがあって撮影とか音楽とかそれぞれの分担があってさ。
それで映画って、"クレジット"があるじゃない? プロデューサーが誰とか、監督が誰とか。撮影監督が誰、音楽は誰、コスチュームは誰って。
でも、別に諏訪に限定した話じゃなくて、街づくりっていうものは、クレジットってあんまりハッキリしてないでしょ。"何とか委員会"とかいうように全部匿名じゃない。そこがなんかちょっと違うのかなって思ったんだよね。
最近は日本でも安藤忠雄さんとか、誰が建築したってのが(前面に)出てきてるけど、もっと大きなスケールで、フランク・ロイド・ライトがやってたみたいに都市計画っていうところまでは発展していないよねっていうような話をして。
一緒にいた人たちから「勉強になりました。嬉しかったです」って言われたんだけど、ぼくも話していてわかってくることってあるんだなって再確認できたな、って。やっぱり話すのってすごく良いなと思った。
M: 建築って、突出してクレジット性が高い気がしますね。
T: 特にここ5年10年でものすごく高くなってきている。
M: ぼく全然わかんないんですけど、そういうことって丹下健三さん以降の流れ、とかいうことでもないんですか?
T: 丹下健三さん以降っていうことはないと思うけど、以前は名前が出るのは、何人かの人に限られてたでしょ。それこそ今回(都知事選に)出た黒川紀章さんとか。
M: ああ、そうなんですか。
T: それが、まるでバンドがデビューした時みたいに、必ず誰がやったっていうふうに出るようになったのはここ5年10年かなぁ。それまでは、丹下先生 とか、黒川先生みたいなとかっていうブランド的な名前以外は、出してどうすんだみたいなのが施主の方にもあったけど。隈研吾ぐらいだったら(前から)出て たと思うけど、もっと若い建築家でも必ず、今のもう「出すのが当たり前」みたいになったのはここ5年とか10年くらいなんじゃないかなぁ。
M: それは何かきっかけがあったんですかね?景気の加減とかバブルとか・・・。
T: いや、バブルっていうよりもやっぱり、設計する人とか作る人に対するリスペクトがようやく日本でも出てきたっていうことなんじゃないかなぁ?
M: じゃあ、前向きな話なんですね。
T: ただ怖いのは、そのことによって建物を自分の作品みたいに作っちゃう若い建築家が増えてきたっていうことだよね。あれはやばいと思うけどさ。
M: うーん。それはやっぱりクレジットの・・・。
T: 弊害っていうかね。
M: うん。
T: やっぱり競っちゃうわけじゃん。そこで競っちゃうのはあれなんだけど、若い人ってそういうふうになりがちじゃない? そこは、やっぱり大人の建築家はそうはならないってとこでいうと、この前オペラシティで展覧会(を)やってた伊東豊雄さんなんかは一貫してるよね。
M: 名前は出さないんですか?
T: いやもちろん出すけど、(伊東さんの場合は)斬新さが本当に勝負に出てるんだよね。作るもんが自分の作品になっちゃっていて、本当に批判も集めるくらいなものを作っちゃう。
でも今の若い建築家はそこまで勝負してないのに、クレジットを意識して妙に自分の作品にしようとするから良くないんじゃないかな。
M: なるほど・・・。
T: なんとなくわかるでしょ? 伊東さんが作った台北のオペラハウスなんてもうグニャグニャなんだから。

T: たとえば今はさ、いろんなカフェの建築が誰、みたいのもみんな(クレジットが)出るじゃん? それの競争みたいになっちゃってるのはやっぱりよくないと思うんだよね。
ぼくもプロデューサーっていう仕事をしていてクレジットは大事だと思うから、そこは矛盾してるかもしれないんだけど、その出方の度合いっていうのかなぁ・・・。
ぼくはいわゆる黒子の職業については「黒子は黒子である」っていうのがしっかりあった方がいいと思ってるんだけど、たとえばその若い建築家たちもそうだし、黒子の人たちが、そうじゃないところで競い合いすぎてる気がすごくするの。
DJはDJでいいんだよ。DJって言ってもいいんだけど、DJはバンドとかで曲作ってる人に比べたら、“作ってない”わけだから。もうちょっと自分たちで マナーみたいなものをわきまえたらどうかなぁ、って。ちょっとそこまでは図に乗りすぎてるんじゃないかっていう・・・サンプリングとかも含めて、そんなふ うに思うことはあるよね。
別に頭にくるとかそういうレベルの話じゃないんだけど、“ちょっと違うぞ、それ”みたいなことってわりとたくさんあってさ。
たとえばここ(爐談)に来てカツオとか食べると絶対おいしいけど、(店側は)声高に何かを語るわけではないじゃない?
でも、店によってはいちいち、“当店のカツオはどこどこのなんとか”って書いてあったりして鬱陶しくなってくることってない?特に都市部でそういうのが多いような気がするんだけど・・・。

都知事選で感じたことなど

M: さっき名前が出た黒川さんってやっぱり大先生なんですよね?
T: そうなんだろうね。ただ、ぼくはそんなに実感がなくて・・・たとえばあの人が何を作ったとかでいうとたぶん、(黒川さんは)ぼくらより一つ前の世代の建築家だから。ぼくらはやっぱり伊東豊雄とか、あのへんがちょうどリアルタイムでいいなあって思ってた世代なんでね。
黒川紀章とかもっと前では丹下健三とかがすごいビックネームなんだっていうのは当然わかってても、映画に例えて言うと、たとえば黒澤明っていうのは、みんながすごいすごいって言うけど、ぼくはリアルタイムですごいと思ったことはないの。実は。
M: それは、リアルタイムで夢中になったものが(他に)ちゃんとあったからですよね。
T: そう、それに似た感じがするの。ぼくはね。
M: でもそう考えると、(建築家として黒川紀章氏は)かなり早熟な才能だったんですかね?
いや、別に今日は黒川紀章特集をやるつもりじゃないんですけど(笑)。
T: (笑)でもさ、今度の選挙戦なんか見てると、16万票しか取れなかったけど、キャラクターとか面白さは久し振りにドクター中松を超えるキャラであったことは間違いないんじゃない?
M: 今回の黒川さんの出馬理由について、ぼくの聞いた中では二つの説があって。
ひとつは、もう何をやろうが止める人が誰も周りにいなくなってるんだっていう説と、もうひとつは石原慎太郎都知事と友達なんで、ある種の友情出馬として立候補したんだっていう説。
T: ぼくはたまたま諏訪で朝、テレビのワイドショーを見ていて、(その番組で)石原慎太郎、浅野史郎、黒川紀章が出演していろんなことを語ってたんだ けれど、黒川紀章は最初はそんなに深い決意じゃなく出たのかもしれないけど、“試合”に出たことによって本気になっちゃったっていう感じがすごくしたんだ よね。
M: ああー、そうですか。
T: だから、2年後にオリンピックの招致ができなかったら2009年でしょ。「そうなったら 石原は退陣だから、その時は私がちゃんとそれなりのことはやるんだ」っていうことを言い切って、目がマジだったもん。
M: (笑)。
T: 浅野史郎が「今は、どう考えていいかわかんない」っていうところとの差でいうと、面白いっていうのは変だけど、でもやっぱりあの都知事戦っていうのは面白かったんじゃないの?
M: そう、だから結果的に浅野さんが一人でつまんない人になっちゃってましたよね。
T: ああやって囲まれちゃうとね(笑)。

T: ただ、自分がずっと東京に住んでるから思うんだけど、やっぱり東京の知事の顔ってあると思うの。浅野史郎も黒川紀章もそれでいうと違うよね。青島幸男も違ってたと思う。
なんか小さいんだよね。そういう意味では、アクが強かろうがちょっと強引だろうが、やっぱり石原慎太郎ってすごく東京なんじゃないの。
M: うーん。
T: だから、ワイン問題とかさ、海外(に)行った時に豪華なスイートルームに泊まるのはけしからんとかっていってもさ、でも、それでうまくいってる部分もあるんだからいいだろうって思うんだよな。
ぼくなんかも似たような経験があるんだけどさ、税務調査とかで海外出張の時どうのこうのとか、「4万円のワインというのは・・・」とか言われたりするんだけど、仕事相手がそうしてるんだからさ。やっぱり対等に仕事しようと思ったらそれはそういうもんだろうっていう・・・。
4万円のワインに目くじら立てるんだったら、じゃあそのバブリーな人たちの税務調査はどうするの?ってことにならないか?
M: なりますねぇ。まぁぼくは4万円のワインは日常的には飲まないけど、その時々で投入すべきお金っていうのはありますからね。仕事相手がファーストクラスで移動する時に「ここで絶対仕事の話を詰めたい!」と思えばそれは自分も横に席を取るでしょう。
T: でも、それを言わないことはすごくおかしいと思うのね。 “清貧”は“清貧”で良いことだと思うけど、それだけが唯一絶対の方法論ではないし、みんながみんな“清貧”じゃ、だめだと思うんだよ。
この前も諏訪とかに3日くらい続けて居ると、CDとかあるわけじゃないから、家では見ない「サンデープロジェクト」とかをつい見ちゃうわけよ。そのとき に、森元首相が出ていて、田原総一朗と例の参議院宿舎の話をしてたの。で、この人ってこんなに頭よかったのかなっていうことを森さんが言ってて、「今の若 手議員とか大体の議員はメディアに気を使いすぎだ」と。「あの議員宿舎はそもそも地方から出てきてる議員が国会中に家に帰れないから、そのために建てたも んだ」と。「それを高いとか何とかって言ってるけど、国会に出てくるのは義務なんだからいいじゃないか。だからあれを中途半端な値段にするからいけないん だ。タダにすればいいじゃないか」って。
「あれは国会議員であることに付随する当然の権利なんだっていうふうにしたらいいのであって、それを一々こそこそやるから変なことになるんじゃないか。何 でそういうふうに誰も言わないのか私はわからん!」って言って、田原総一朗もめずらしく「おっしゃるとおり」なんて言ってね(笑)。
そのロジックが今、あまりにも無さ過ぎるよね。言われてみりゃそうなんだよ。だって、議員じゃなくなったら住めないんだもの。
M: 石原さんは、そういう衆愚主義みたいなものに正面から対抗できる数少ない人ですよね。
T:

そうそう。
そりゃあ時々さ、物言いに問題はあるよ(笑)? だけど言ってることの本質は決して間違ってはいないわけ。で、やっぱり東京の人だなって―住んでるのが海の方だから神奈川なんだけど―思うのは、東京の人って何か問題があった時に意外に平気で謝れるんだよね。
M: ああ、なるほどね。
T: あれはぼくも同じようなところがあって、たとえば自分がこうバーっとなにか言うじゃん、飯田とかに。で、あいつも忘れてて、ぼくも misunderstandingがあって困ったなぁ・・・っていうような時に、「ぼくが悪かったんでちょっと予定変えてくれないか」とか、「最近話 (を)振り過ぎてたかもしれないって自分でも思うんだけど」って言えるのはやっぱり東京人だよね。自分で言うのも何なんだけど。
M: ふーん。
T: 地方出身の人はね、そこでがんばるのよ。なかなか認めないの、非を。
昔の「愛のコリーダ」の「吉」じゃないけど、ちょっとうつむき加減に「すんません」っていう感じって東京とか大阪とか京都とかのそういう都市の感覚だと思うんだよね。
M: ぼくもけっこうヒョコっと謝りますね。「あ、それ、やっぱヤメ!ごめん!」とか(笑)。
T: 平気でしょ?そのことに対してためらいはないでしょ。そこなんだよなぁ・・・。
M: 石原さんっていわゆるニヒリストなんですかね。
T: うーん・・・。だって、大学時代にあんだけのものを書いちゃったわけでさ。「ファンキー・ジャンプ」なんて、ジャズのアドリブがそのまま文体に なってる、たぶん最初のジャズ小説だよ。そんなのをあの若さで書いて、「太陽の季節」とか映画監督もやってさ。そういう意味ではスター街道を歩んでるわけ よ。だからニヒリストってわけじゃないだろうけど、彼はそんなに失うものは無いんだよね、もう。べつに知事やめたからって困んないだろうし。
だから、石原慎太郎の分析みたいなのをする時には、もっとみんなが彼の生きてきたバックボーンとかを語って、そういうことを言ってもしょうがないんだろうねっていうところにたどり着かないと。
M: それこそずっと特権階級の世界を生きてきた人に、いきなり普通の生活を送れって言ってもそれは難しいですよね。
T: そう。つまり知事になったから急に高いワイン飲んだわけじゃなくて、知事になる前から高いワイン飲んで、旅行に行ったらスイートルームに泊まってたと思うの。だから何でそういうことに対して世間が目くじら立てるのかわからない。
M: うーん。
T: でも、とっても多いでしょ、そういうこと。
M: 多いですねぇ。
T:

なんか全ての人が平均的であれみたいな。それを考えると(都知事選は)非常に面白い結果だったし、石原慎太郎が「良識ある都民がいることが自分はうれしかった」みたいなことを言ってたのがまた・・・。
M: 石原さんって、実はぜんぜん変な人じゃなくて、ごく普通で真っ当な人なんじゃないかって、ぼくは思いましたね。もちろんその思想とか方法論に対して賛否両論が存在するのはわかるんだけど。
普通なら嫌になって途中で表に出なくなっちゃうタイプの人が、ずっと出続けているだけのことなんじゃないかなと。
T: それはね、絶対そう思う。
そもそも、ここで二人で石原慎太郎がどうしたとか話してるのも変なおかしさがあるよね。前はぼくらが「あの音楽が好きだよね」とか、「今日見たローザスがいいよね」とかいう話の系譜の中に、たぶん都知事選の話って出てこなかったと思うの。
M: “関係ない”ことだったかもしれないですね(笑)。
T: それがいつの間にか関係ないことじゃなくなってきたのと、実はすべてがエンターテイメントの同列線上に並んじゃってる気がするの、今や。
M: まさに“悲劇”ですよね、今の状況って。
T: で、もはやこういうこと言うと誤解されるかもしれないけど、戦争ですらメディアによってエンターテイメントになっちゃったわけじゃない。たとえば 金正日をめぐる一連の動きだって、テレビの報道をザッピングして、ちょっと音楽つけて30分くらいにまとめたら、完全に面白いドラマになっちゃう。
だからすごく変な時代・・・。本来別々に存在していたはずの事象がこんなに交錯しあってぐちゃぐちゃになってることってなかったんじゃない?
これも語弊があるかもしれないけど、政治家ってもっとすごいもんだと思ってたんだよ、ぼくらの頃って。もちろん政治家と芸人を比べたらこういう感じになっ てたわけじゃない。でも、たとえばそのまんま東が県知事になっちゃった時にあのバランスって・・・。ああ、彼、できちゃうじゃない、って・・・。
今のところ多少あのタミフル問題とかはあったとしても、たとえば経済効果とかを考えた時に、県民が彼を選んだのは正解ですよ。間違いなく。
M: すごく腹が据わってる感じがしますよね。
T: いや、タミフルの時(の対応)もね、ビジュアルは違うけどちょっと石原慎太郎っぽいんだよ。その「自分は風刺で言っただけだ」とかいう交わし方に、結構ぼくは東国原知事の底力を見たな(笑)。
M: この前テレビを見てたら、なんか石原知事と東国原知事が中継で擬似対談みたいなものをやってて、苦笑いしながら捨て台詞を口にする時の感じとか、似てるんですよね。  
(東国原知事が)研究してるんじゃないかと思うぐらい。
T: うん、似てるよね。ぼくは結構好き。
誰もそういうふうに言わないけど、彼は、石原慎太郎(を)好きなんじゃないの。
M: 好きでしょ、きっと。

「ローザス」を見て

M: 今日一緒に見せていただいた「ローザス」って、すごくざくっと言うと位置づけとして、たとえばピナ・バウシュがいて、誰がいてっていうことでいうとどうなるんでしょう?
T: いや、だからピナ・バウシュがいて、アンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケル(「ローザス」の主宰者)がいてっていう系譜ですよ。
M: 直系?
T:

直系っていうか、ピナ・バウシュの下っていうんじゃなくて、いわゆるコンテンポラリーダンスのダンサー兼美術系の演出みたいなものをやる人っていう中でいったら(アンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケルは)完全に一家を構えてる。
M: ぼくは「ローザス」っていうDVDを一枚見ただけだったんで、ミニマム、ストイックっていう印象があったんですけど、今日見たらエロティックな感じとかもあってすごく楽しかった。
T: そうなんだよ。前にやったのにしてもDJなんか使ったりして、とってもユーモアとゆるさがあるんだよ。
M: そうですねぇ。
T: ぼくはそのゆるさが好きなの。
だからDVDとか歌舞伎のTV中継っていうのは、あくまでも入り口でしかなくて、やっぱり舞台のものってのは生を見ないと。
今日の演目だって、(テレビ画面に)切り取って凝縮したとこで見たら、横のあの引き落としのとこが手動だったってことにも気づけないでしょ。
M: うーん。
T: あの引き落とし、すごく人力な感じなんだけど、映像にするとストイックな感じに映ると思うのね。
今日のコルトレーンの曲を使った演目にしたって、コルトレーンが流れても、あの空間のゆるさが出てくるところがローザスなわけじゃない?
M: 最初の(演目)でも、アンヌさんじゃない方の女性がちょっとぐらつく感じをあえて見せてしまうところとかね。
T: そう。
M: どう考えてもあの技術レベルの人があんなふうにぐらつかないよな、と。でも、それがわざとらしくなくてそこはかとない“ほっとする感じ”を醸し出すところ・・・。
T: もちろん。だからピナ・バウシュっていい意味であんまりユーモア無いじゃない?
M: 無いですね。
T: だからそう考えると、ぼく、近年の「ローザス」をすごく好きなのはそのへんのところなんだろうね。
M: あの砂埃が舞う感じとかね。
アナログっぽくてすごく良かったです。
T:
きれいでしょ?
M: あのすごく人間的で本当にエロティックな感じ。
T: ファッションでいうとアニエス.bっぽいのよ、ちょっと。アニエスとかジェン・バーキンとか・・・だからたぶんダンサーの系譜で考えるより、アニエスとかジェーン・バーキンとかに近いものっていうふうに捉えたほうがいいのかなって。
M: ピナ・バウシュだと、「理想のステージの実現は我々の必達目標である!」みたいな、張り詰めたある種のファナティックな雰囲気が舞台に漂ってるような気がするんだけど。
T: うん。
M: 今日の「ローザス」とかだと、「あんまりやりすぎるとかっこ良くないんじゃん?」っていう思考が常 にそこにあるような気がして、でも、コルトレーンの曲で踊る演目なんかでは「行っちゃえ!」みたいなぶっちぎれ感もあるという、そういう“揺らぎ”みたい なものがとてもおもしろかったですね。
T: そういう意味でいうと、ジェーン・バーキンなんかもやり過ぎないじゃない。
M: だからそれはもしかしたら、立川さんが“いい”って思うものに共通する感覚なのかもしれないですね。
T: やりすぎると嫌だよね。
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