TIME WAITS FOR NOR ONE~立川直樹同世代トーク~

第15回 前編

立川直樹は最近、しきりに
「ぼくは良い時代を生きたと思う」
と口にするようになった。
「一番良い時代にいろんな仕事をして、今はもう『好きな仕事だけしていればいいや』と思えるんだから」
と。

では、その“良かった時代”と彼が今、抱いている、現実に対する違和感のようなもの について聞いてみよう、というのが今回の対談のテーマである。

本文を読んでいただければわかるように、昔話をする時でさえ、立川直樹はあくまでも真 剣で語り口は合理的である。
しかし、そうやって話しながら、冷徹にさえ見える眼差しがすっと緩んで遠くを見るよう な瞬間がある。
そんな時、彼は何を思っているのだろうか。

「昔を懐かしむようなジジィにはなりたくないね」
立川直樹は以前、こう言っていた。
でも、ぼくは近頃こんなふうに思うことがある。
「立川さん、もうそろそろ、ジジィでもいいんじゃないっすかね」

鋭い批評精神とバランス感覚を持ったちょっとシニカルで我儘なジジィ。
死ぬまで自由と快楽を求め続け、しかし「分相応」という今や死語に近づきつつあるような言葉を大切にする古風なところも併せ持つジジィ。
そんな、一筋縄ではいかない、とてもチャーミングな生き物が立川直樹なのだと思うことがある。

T=立川直樹 M=三島太郎)


ベトナムと東京

M: 最近、ベトナム出張が多いですよね。それもかなり気に入ってらっしゃるようですけど、どのあたりが良いんですか?
T: 今の日本ではなくなってしまったものがまだベトナムにはあるんだよ。
昔、日本に来た外国人が書いたエッセイとかを読んでると、「日本の人たちが微笑みながらお辞儀をしていることの美しさに感動した」っていう箇所があったりするんだけど、それに近いエレガントな感じ。
実際、ベトナムの人たちの、人とすれ違ったりする時に、お互いにどちらからともなく交わすあの微笑みに心が和むんだよね。
M: へぇ。ホテルとかもいい感じなんですか?
T: うん。パークハイアット・サイゴンに泊まったんだけど、洗練された部分とエキゾティックな部分がこう、うまく混ざり合ってる、あのコロニアル文化の感じっていうのがぼくはすごく性に合ってるんだろうと思う。
M: 共産主義っぽい雰囲気って、あんまりないんですか?
T: ないね。(共産主義の国で)あそこまでそういう雰囲気が感じられない国って珍しいと思う。
今、日本人のメンタリティってすごく荒廃してる気がするじゃない? だからあの昔の日本を思い出す感じがすごくいい。
M: ぼくは最近、よく沖縄に行くようになって思うんですけど、その“荒廃”って、特に東京だけの特殊な状況なんじゃないかなって。東京のことを悪く言いたくはないんだけど・・・。
T: いや、悪いよね。すごく悪いよ。
M: それもその悪さって、別に東京っていう土地に何か問題があるわけじゃなくて、なんか趣味の悪い人たちが全国各地から集まって、共通言語もなくただひたすら大騒ぎしてることから来る悪さなんじゃないかって思うんですよ。
T: うーん。
M: 沖縄にしても、それは大阪にしてもああいう取り留めのなさってないような気がする。
T: でも、そこには“industry”が無いんだよな。
M: 無いですね。
T: 今の東京って、確かに、有象無象が集まったところに築かれた繁栄だから、とにかくありとあらゆるものがものすごい集まり方をしちゃってるわけですよ。
多摩川と荒川を両端にしてマンハッタン島みたいに東京を切っちゃうと、そこはもうデタラメな街になってるよねっていう話を、前に冗談交じりにしたんだけど、まあ、そういうことだと思うんだよね。
多摩川を一歩渡ると、そこには全然違う世界が広がってる、みたいな・・・。
M: なるほど。
T: でもね、たとえば昔の江戸の資料を見て感じるのは、(当時の江戸も)お祭り、富くじ、勧進相撲、歌舞伎・・・っていう具合に町中が狂乱状態で、そこに田舎モンが混ざってきたことによって変な座標軸がずれた歪みみたいなものが出現していた不思議な都市だったんだろうなって。
だからもしかしたら江戸とか東京っていう場所は、 “そういうもの”なのかもしれない。
その歪みをおもしろいと思うか嫌だと思うかっていうのは人によって違うだろうけどね。
M: 立川さんはどちらですか?
T: 好きではないけど・・・。でも、まぁいいんじゃないの、とは思うよ。

昔は良かったね

M: 前に「永遠の質問」でもちょっと聞いたことがあるんですけど、立川さん、最近、「昔は良かったなぁ」って思うことってあります?
T: いっぱいあるよ。
M: たとえばどんなことですか?
T: 車の運転一つとっても、昔は「点数」なんてものはなかったしね。
M: え?ホントですか?
T: なかったよ、罰金はあったけど。
ぼくの若い頃なんてさ、スピード違反で止められても、
「スピード違反だ!今、何キロ出てたと思う?」
「○○キロぐらいですかね・・・」
「バカヤロウ、おまえが死んだら悲しむのは両親だぞ!ちゃんと安全運転して帰れ!」
っていうぐあいに、頭、ゲンコツで殴って見逃してくれるおまわりさんがいたもんでね。
つまり、杓子定規じゃなかったよね。
それは全てにおいてそうだったんだ。
レコードを作る時も、「今回は、良いものを作るために何百時間レコーディングにかかりました」っていうのが容認されてたから。しかもそれで「レコーディン グはしたけど(うまくできなかったから)出したくない」って、アーティスト側が言えば、ディレクターも「ああ、そう」っていう、そういう時代だったんだ よ。
今、そんなことしたらディレクター、クビだよ。
M: うん、ちょっと信じられないような話ですね。
T: 昔は、レコード会社って制作が一番偉かったの。制作→宣伝→営業の順番だったんだよ。
それが今は逆になって営業→宣伝→制作と話が降りていって、「こういうもの作れ」って言われちゃうわけだよ。
でも、それは違うんじゃないか?って。
M: 違うんじゃないか?って立川さんは思う、と。
でも、マーケティング的な発想でいえば、まぁ、そういうもんですよね。
T: そう。そんなもんなんだよ。
しかもやっかいなのは、そうやって作られたものがまた売れるんだよな・・・。
M: 売れるんだ。
それじゃ、(そういう体制も)しょうがないですね、資本主義社会では(笑)。
T: しょうがない、しょうがないんだよ。
資本主義っていうのは、エスカレートすると共産主義に近づくものだと思うんだ。
だから、今の資本主義圏って、クリエイティブにおいては共産主義みたいでしょう?
M: 一種の全体主義?
T: まさにそう。「こういうものが売れる」っていうことになったらみんなそっちを向いちゃう。
「今、エミネム!」ってなったらもういっせいにエミネムなんだよ。
でも、そんなのスターリンの演説とどこが違う?
81年以前はMTVだってなかったから、ラジオから聞こえてくる音楽とか音楽雑誌の記事から、リスナーが自分なりのイメージを膨らませるっていうことができた。
でも今って、リスナーがある固定したイメージを最初に植えつけられちゃうようにできてるじゃない?
アヴリル・ラヴィーンの曲だっていいものはあるんだけど、最初の接点がネェちゃんがパンツ出して踊ってるビデオだったら、なんかパンツの歌みたいに思えちゃうよね(笑)。
それって、なんか違うんじゃないかって。
M: 音楽自体もそういう状況に引きずられちゃってるところがありますよね。だって昔のコニー・フランシスの歌なんて、圧倒的に情景が目の前に浮かんでくるようだもの。  
今の音楽って、そういう意味では薄いというか、映像やアーティストのキャラクターやいろんなものとセットになって初めて機能するようにできているものが多いような気がする。
T: そうでしょ?横須賀を車で走ってる時にコニー・フランシスの「ボーイ・ハント」がラジオから流れてきて・・・みたいな感動って、今の若い人はなかなか味わえなくなってきてるんじゃないかな。
映画だってそう、「この映画は良い映画だから公開したい」っていうのが通ったんだから。
今は、何でもマーケティングでしょ?
M: そうですね。
T: 結局、産業として巨大化し過ぎたんだよ。レコードにしろ、映画にしろ。
その始まりがどこだったのかはぼくにもわからないし、それを否定するつもりもないんだ。ただね、ある時に“何か”がとんでもなく売れたことで、レコードや映画にどんどん制作費をかける傾向がエスカレートしていっちゃった。
その度合いがどこかで「個人」の許容範囲を超えちゃったんだ。
今はもう、1人の製作者が「こういう映画を作りたい」って言って映画を作れる時代じゃない。
「その映画を作ったらどれぐらいの興行収入が見込めるんですか?」っていう話から、みんな、逃れられなくなっちゃった。
しかも(今は)クリティックがないから誰もそんなことは書きもしない・・・。
世の中の資本主義の流れからすればしょうがないんだとは思うんだけど、クリエイティブとか自由とかの匂いのするものがどんどんなくなっていっちゃうことに対して、やっぱり何かを感じずにはいられないんだよね。
M: うーん、なんか辛いですね。
T: とにかく個人とか個人商店が生きていきにくい時代なんだよ。
街場の店にしても、今や「ハンバーガー・イン」もない、「ジョージ(George’s)」も終わって、スターバックスとか、大きな資本の店ばかりになっていく。
レコード会社だってどんどん系列化されていってるし、町の古本屋も、小さなレコード屋も、レストランやバーもすごい勢いでなくなっていく。
(この日、話をした)「爐談」はなくならないでほしいと思うね。
M: 当分は大丈夫でしょう(笑)。  
立川さん、ちょっと前の「翼の王国」にも書いてたフレーズをお借りすると、バーも「個人営業」系が好きですよね。
T: うん。質問の答えとはちょっとずれるかもしれないんだけど、ぼくの好みってさ、たぶん、スタンダードな「男はこうあるべきだ」みたいなナイトライフとは違うんだよね。
M: ああ、そうですね。バーでジェット・ソーダとかオーガズムとか飲むっていうのはねぇ。
T: 昨日もさ、久しぶりに会った人に連れて行かれて、あるバーでハードリカーとか飲んだのね?
しっかりした店だったし、それはそれで悪くはないんだけど、なんか楽しくないんだよね。
やっぱりぼくは、青木(=Assh)の店で妙なカクテル(を)飲んでたほうがいいなって思っちゃうんだよ。
M: 青木さんの作るカクテルって、特に最近、本当においしいですよね。
T: ちょっとすごいよね。
M: あれでもうちょっと安定感があれば・・・。
立川さん、わりといつも青木さんのこと心配してますよね?
T: まあ、あんなだからなぁ・・・。
しっかりしたマネージャーがいて、あいつはバーテンダーに専念するのが一番いいと思うんだけどなぁ。
M: 難しいですねぇ。
T:

うん・・・。

 
これはAssh氏の店で早乙女道春画伯が描いてくれた絵。
立川さんとぼくと西麻布の夜にふさわしい艶やかさを持つ某女のスリーショットである。
何十年も先にぼくがまだ生きていてこの絵を見たら、どんなふうに思うのだろう。
「昔は良かったなぁ」なのかな。
やっぱり。

<カタログ文化の時代>
M: クリティックっていうことでいえば、クリエイターやクリティックの特権的な時代っていうのが、もしかしたらもう終わろうとしてるのかもしれない、って思うんですよ。
ネットでいろんな発言や表現を人目に触れさせることができる時代になって、確かに玉石混交ではあるんだけど、全体のボリュームが増えることによって「玉」 もすごいスピードで増えていって、それをまた勝手にみんなが評価するっていうことが普通になってきてるっていうところで。
T: ものを書くとか発表するとかいうことの持つ意味が根本から変わってきているっていう気はするね。
以前なら、たとえば目利きの編集者がいて、「○○クン、君の書くものはおもしろいから、ぼくが編集してる雑誌に書いてよ」っていうところから始まって、そ の書いたものが認められて新聞にも書くとか、ラジオの台本を書いてみるとかっていう、評価とステップみたいな図式があったと思うの。
でも今って、誰もが勝手に書いちゃってネット上とかに勝手に出せちゃうわけじゃない? それで、そこには文体とか脈絡とかは重要じゃなくて、即物的におもしろけりゃいいんだ!ってなった時に、いろんなことが変わっちゃったんだと思うね。
M: 確かに、「彼の書くものって、ちょっと変わってておもしろいよね」っていう認知のされ方はblogを中心にすごくたくさんあって、その多くはすごいスピードで使い捨てられていってるんだと思うんですよ。
T: うん。
M: でも、そういう「使い捨てシステム」みたいなものもそれはそれでアリなんじゃない?っていうのが、“今”を代表するとまでは言わないけど、一つの考え方としては厳然としてあると思うんです。
T: うん。わかるわかる。
こういう話、今日はじっくりしたいな。
もう少し具体的な例を挙げると、今、「クラシック100」っていうアルバムが出てて、すごく売れてるんだって。でも、そのアルバムは曲が全部フェイドアウトしてるの。
M: え、そうなんですか?
T: そう。それでそのアルバムはネットか何かに連動してて、もっと聞きたかったらそこからフルサイズのものにたどり着けるっていうふうになってるんだって。
そういう形ってさ、純粋なクラシックファンは否定するかもしれないんだけど、裾野を広げるっていう意味ではいいのかもしれないって思ったりもするわけだよ(笑)。
M: 立川さんがそんなふうに思うんですねぇ。
T: だって、たとえばブルーノートのいろんな曲を、キャノンボール・アダレイも何も一緒くたに詰め込んでるようなCDの存在だって、「これはひどいけ ど、でも、もしこういうものがなかったら、人は今、ジャズを聞かないのかもしれない」って思うと、単純に否定するのもどうかなぁっていう気がしてくるんだ よ。
だからといって容認するのもなぁ、とも思うんだけど(笑)、でも一つ言えるのは、こういうアルバムに対してはクリティックっていう行為はもはや機能しないんだよね。
(そういうアルバムは)作品じゃなくてカタログなんだもの。カタログを批評したってしょうがないじゃない?
M: ああ・・・。
T: だから、昔はレコードとか映画ってカタログじゃなかったんだよ。すごく趣味的なものだった。だからぼくたちは夢中になれたんだけど・・・。
M: 今はむしろ一般消費財に近づいてきてる?
T:

いろんなことが何もかもぐちゃぐちゃに一緒になってきちゃってる。
でも、工業製品とレコードを同じ“もの”だと思ってる人に「それは違うんだよ」って言ってもしかたがないんだよね。

世代の音楽

M: 最近はどんな音楽を聞いてらっしゃるんですか?
T: ヴァン・モリソンが新譜(を)出したんだけど、いきなり新譜っぽくないのよ(笑)。それで、ぼくはやっぱりこういうものが好きなんだって再確認するっていういつものパ 
ターンで。あと、ボブ・マーリィのシングル・コレクションを改めて聞きなおしてる中で思ったのが、「スローガン」っていう曲があるんだけど、その“みんなスローガンなんか信じない”っていう詞の感じがすごく「今」なんだよね。
もう、新しいものとか時間なんて全然関係ないっていう感覚がすごく強くなって、好きなものに対してもっと強く好きだって言ったりやったりしたいなって思うようになってきてる。
そういえば、モット・ザ・フープル(のアルバム)が全部発売されたんだけど、これもすごくいい。
M: それは“世代”ですね。
T: うん、世代(笑)。
思うに、人間の音楽の記憶とか好みみたいなものって25歳ぐらいで決まるんだよね。曲のタイトルも覚えてるし、詞のフレーズも覚えてる。
ビージーズの「ニューヨーク炭鉱の悲劇」とか「ホリディ」とか聞くと、うるうるっとくるもん(笑)。
「ステイン・アライブ」だともう(ぼくは)30(歳)になっちゃってたから、ちょっと感じ方が違うんだよね。ジャズなんかもそうね。気持ちにすっと入ってくる。
映画はまた違うんだけどな。
M: ぼくも最近出たJUDEのベストとか聞いてると、仕事の手が止まるんですよね(笑)。(浅井健一さんの)あの声とボーカル・スタイルだけでもう満足っていうところがある。
T: それも世代だね。
次ページ

Page Top▲

  • TOP
  • PROFILE
  • 立川直樹の内省日記
  • TIME WAITS FOR NOR ONE
  • WORKS
  • ARCHIVE
  • ABOUT THIS SITE