TIME WAITS FOR NOR ONE~立川直樹同世代トーク~

第13回 後編

「キャンティ」の想いで

M: ぼく、一度も行ったことないんですけど、今の「キャンティ」って、やっぱり(「キャンティ」出身のスタッフが多くいることで知られる)「アッピア」と似た雰囲気なんですか?
T: いや、ああいう華やかでイマドキの感じとは違うね。いい意味での斜陽感みたいのがあるんだよ。
料理にしても「キャンティ」のイタリアンなんだよね。決してヌーベルじゃない、昔、ワインもキャンティ・クラシコぐらいしか見かけなかった時代を彷彿とさせる、ちゃんと作ったディープなイタリア料理なんだよ。
それでその時ね、ぼく、後でちょっと勇み足だったなと思って反省しちゃったんだけど、アスパラガスのいいのがあるって知り合いのスタッフが言うんで、つい、「オランデーズ・ソース?」って聞いたの。
そしたら「うちはマヨネーズです」って言うんだよ(笑)。いいでしょ? その時、あ、最高、って。「キャンティ」恐るべしって思ったな。
M: 昔はよくいらしてたんですよね?
T: まあ、よく行ってたけど・・・。昔、伊丹さんとか田辺さんとかが行ってたキャンティっていうのは今のキャメロンやぼくにとってのVa-toutなんだと思うんだよな。
M: キャンティって高かったんでしょ?
T: いや、そんなに高くなかったんだよ。バブルの時にエスプレッソを800円にしちゃって、みんな行きたくなくなっちゃったっていうのはあるんだけど・・・。
M: 昔、スパゲッティが他の店の5倍だか10倍だかしたっていう話を聞いたか読んだかしたことがあるような気がするんですけど・・・。
T: うそうそ(笑)。それは幻想ですよ。そんなバカ高い店じゃなかったよ。バジリコ1,200円とかだったもの、バブルの前は。
だから使い方の感じでいえばやっぱり今のVa-toutが近いんだよ。
今、ぼくやキャメロンが日常的にVa-toutでお茶飲んだりご飯食べたりするでしょ?
あれが黄金時代のキャンティですよ。
田辺昭知さんとか小林麻美さんとか8人ぐらいでご飯食べてさ、「お、これ、うまいよ」「どれどれ」なんて分けたりなんかして、今日みたいな感じだよ。
でも、そうしてると一応、丸谷さんっていう仲のいいスタッフが席に来て(小声で)、「立川さん、一応ね、うち、高級なイタリアンだから」って言って帰ってくの(笑)。
M: (笑)一応、言うんだ。
T: そう(笑)、それで「ああ、わかったわかった」みたいな。
その丸谷さんって、ほんとおもしろくてさ、まるで井上順さんがマネージャーになったみたいな、いい意味でC調でファンも多い人だったの。
で、しょっちゅう行ってた頃にたまに半年ぐらい間を空けていくと、寄ってきてさ。また始まるわけだよ。
「立川さん、久しぶりじゃないですか」
「忙しくてさ」
「そんなぁ・・・。忙しいなんて言って、いろんなとこ、メシ食いに行ってたんじゃないっすか?行ってたでしょ、いろんなとこ?」
「ああ・・・行ってたよ」
「でもさぁ、こうやって戻ってきてくれることは、うちは一番じゃないけど5本の指には入ってる店なんですよね? うちってそういう店なんですよ・・・。」
その感じがすごく良くてさ。
M: ああ、なんかいいですねぇ。
T: ランチだってさ、昔、ナベプロが今のアルファキュービックのところにあったから、ナベプロにいた砂田さんとかとよく行ったわけ。
砂田さんってすごくダンディなおやじだったんだけどさ、「丸谷、今日、ランチ何があんの?」って聞いてさ。
「今日はサーモンのすごくいいのが入ってます」
「どうやって食べるの?」
「そうですねぇ、軽く炭で焼いて、レモンですかねぇ。ちょっと塩、振って。」
「ああ、シャケの塩焼きだな、それにするわ!」
ぐらいの(笑)、そんなノリでみんなやってたんだもん。
M: ああ、じゃあ、まさに今のVa-toutだ。
T: だろ? それが何度も言うけどバブルで変わっちゃったんだよ。
M: へぇ。それは全く、今、伝わってるパブリック・イメージと違いますね。  
だって普通の人は足を踏み入れられなかったぐらいのとこかと思ってた。
T: 全く違うね。ちょっとしたサラリーマンも来てたし、ホステスだっていっぱい来てたし・・・。
だから野地さんのあの本(「キャンティ物語」)のイメージが強いんじゃないの。
あれは幻想、と言って悪ければ、キャンティのある側面をものすごく強調した、よくできたお話だよ。
だってさ、もしそんな魔窟みたいなとこだったらそんなに長くもつか?
当時、「パブ・カーディナル」と「キャンティ」っていうのが六本木にいる人たちの昼と夜だったんだから。
M: 「パブ・カーディナル」ってソニー・ビルにある、飲み屋のおねえちゃんと待ち合わせたりする、あそこですか?
T: そう、あの六本木店が今の「T.G.I.フライデーズ」のところにあったの。
2階で「すりゴマトンカツ」っていうのを出してだな。植草甚一さんが昼にエスプレッソを飲みに来たりしてたんだよ。
M: 立川さんが「キャンティ」に行くようになったのっていくつぐらいの時だったんですか?
T: 16~7だったんじゃないかな・・・。
M: それは、六本木で遊んでる人として行きだした?
T: いや、他に店が無かったんだよ。イタリアンなら「キャンティ」、フレンチなら「竜土軒」みたいなことだったから。
ある日、気がついたらぼくの前にロックンロールがあったように、キャンティもそこにあったんだね。
M: その当時、どんなふうに思ったか覚えてます?
T: “変なかっこいい大人”がたくさんいて、定型的じゃないメシの食い方をしてるなと思ったね。ホテルで食べる外国料理とは違う世界がそこにはあった。
M: その“変なかっこいい大人”ってたとえばどういう人?
T: それは、たとえばぼくが(仕事で)知り合う前の伊丹(十三)さんとか。かまやつさんもいたのかもしれないし。
あの頃はストーンズだって別にそんな肩肘張って聞くもんじゃなくて、アホな女だってGSノリで「テル・ミー」とか聞いてたわけで、同じように「キャンティ」だって、ドレス・コードがあったわけじゃないし、少なくともホテルよりは敷居は低かったと思うよ。
60年代って、帝国ホテルやオークラに行く時は「あ、どうしよう」っていう感じがあったけど、キャンティは気後れしなければ行けたよ。ただ、テイストの問題として、肌の合わない人は行かなかったんだろうけど。
ぼくにとってはロックもキャンティもそこにあったもので、何ら特別なものではなかった。
M: 伊丹さんっていうと「キャンティ」っていうイメージがありますよね。
T: あの人は「キャンティ」の人だから。伊丹プロから近いし、なんでも融通が効くしね。
伊丹さんって枠から外れた人だったんだよね。俳優でもありエッセイストでもあり、テレビ番組のレポーターもやる。それじゃあ、俳優なのか?エッセイストなのか?って言ってくと、またちょっと違うという・・・。
で、そういうある種奔放な何でもできる人っていうのは、やっぱりどこか保守的なところがあるんだよね。
どこか自分の中に八方美人的なところがあるって自覚してると、「店ぐらい決めとくか」みたいのがあるんじゃないのかなぁ。

ぼくが「気狂いピエロ」を見た日

M: しかし、「気がついたらぼくの前にロックンロールとキャンティがあった」っていうのはすごいですね。かっこ良過ぎですよ。ま、ホントのことだから仕方ないんでしょうけど。
T: かっこいいかどうかはぼくにはわからないけれど・・・。
ただね、ぼく、最近思うんだ。
ぼくは本当に幸せな時間を生きたんだなって。
ぼくは1967年のある日、一人の18歳の男の子として「気狂いピエロ」を見たんだ。それもやっぱり「気狂いピエロ」がそこに“あった”からなんだよね。
その18の男の子が見た「気狂いピエロ」っていうのは、たとえば今、31歳の男や女が、「ああ、なるほど、これがあの名作なんだな」って思いながらDVDで見る「気狂いピエロ」とは違うものだよね。
M: それはそうだと思います。
T: それはいわば手つかずの自然みたいなものだったんだよ。
ぼくたちは「気狂いピエロ」や「ラバー・ソウル」や、今では名作や名盤といわれてるいろんな作品に素の状態で触れることができたんだ。
先入観無しにその作品から衝撃を感じて、自分の感覚で判断して仲間と議論することができた。その場所がたとえば“ちょっと変なかっこいい大人”がたむろす る、街のイタリアン・レストランだったりもした。そういういろんなことから、ぼくはきっとすごくたくさんのことを自然に学んだんだよね。
そして、ぼくはいつの間にかライナー・ノーツを書くようになって、ロック・バンドのレコードを作って、セルジュ(・ゲンズブール)の本を作った。
本当にぼくは幸せな時間を生きたと思う。
すごくそう思うんだ。
M: ちょっとした疑問なんですけどね。  
立川さんもぼくも自分たちがこうやって生活している街を変えようっていう意識はないじゃないですか?  
街ってぼくたちにとっては、さっき立川さんが言ってたみたいにそこにあるものだったり、嫌だったら他の街を選べばいいっていうものだから。  
でも、自分の前にある街をすごく真剣に良く変えようとしている人たちが、特に東京以外の場所にはたくさんいるわけですよね。
そういう人たちは、どうすれば彼ら、彼女たちにとっての“満足できる街”を手に入れられるんでしょうね?
T: うーん・・・。それは、ぼくみたいな人間が言うのは難しいんだよね。
なんで難しいかっていうと、都会に住んでる人間っていうのは、地方の街っていうのは発展しなければいいと思うものなんだよ。
昔、京都の祇園町かどこかにマクドナルドができた時に、「この街にはマクドナルドはいらないんじゃないか」って言ったら、地元のやつに「おまえ、ふざけんじゃない」って言われたことがあるんだよ(笑)。「おれたちだってハンバーガーぐらい食いたい」って。
「おまえみたいに、京都を外国だと思って遊びに来るやつに、そんなこと言われたくない」ってね。
ぼくらはさ、地方のきれいで静かな街に高層ビルなんか建ってほしくないと思うし、中途半端にお洒落な店だっていらないと思う。
でも、住んでる若い子たちにしてみればそんな考え方は大きなお世話であって、自分の街にお洒落な店はあってほしいし、当然、“発展”を求めるものと思う。
そこで大げさに言えば、すでに利害対立が起きてるんだよね。
M: そうですよねぇ。
T: ただね、今はテレビとか雑誌とかのメディアの浸透具合がすごく強いあまりに、みんなが“全国共通”っていう概念にとらわれすぎてるんじゃないかとは思うね。
東京と大阪ってニューヨークとロサンジェルスみたいなもんで、特に東京は世界的に見てもすごく特殊な街だよ。
そういう特殊な街と自分の街が同じであるべきだっていう思い込みが、もしも住んでいる人たちにあるとしたら、それはやっぱり違うと思うんだな。
M: その特殊な街の真似をしようとして、なんだかわけのわからない状況に陥っている地方都市って、すごく多いですよね。
T: 多いね。
それで一つ言えるのはね、これはどこがっていうんじゃなくて、今、なんかおかしくなっちゃって、町おこしとか再生とかっていってる地域っていうのがたくさんあるじゃない?
で、そのおかしくなっちゃってる理由の大部分ってさ、たとえば中にいる人たちのコミュニケーションのとり方が複雑に絡み合っちゃって、収拾がつかなくなっちゃってるだけだと思うんだよ。
たとえば、若い女の子や男の子の“いろんなものを片付けられないでいる部屋”ってあるじゃない? なんか使わないマガジンラックとかぐちゃぐちゃになった袋菓子が散らばってたりする・・・東京だってそうかもしれないんだけど、つまり日本の多くの地域 が、そういう散らかった部屋みたいになっちゃってるんだよね。
だからまず一回、いらないものは捨てて、部屋をきれいにしよう、と。
きれいな部屋って、住んでて自分でも気持ちいいし、人も誘いやすいじゃない?
で、きれいにしたら、ここにはこういう机があったらいいよね、とか、ここにはやっぱりひとつきれいなプランツがあるといいよね、っていうこともすごく考えやすくなるんだよ。
そうして初めて、「ああ、じゃあ、キャメロンちゃんちに遊びに行きたいな」っていう人が増えていく。それがすなわち再生だったり町おこしだったりするんじゃないのかな。
M: ああ、その比喩はおもしろいですね。部屋をきれいにしないと女は来ない、と(笑)。
T: そうそう、男も来ない(笑)。なんか変な臭いがしたり掃除してない雑然とした部屋って、独特な感じがあるじゃない? そういう場所にはやっぱりみんな行きたくないんだよ。店だってそうだよね。
M: ものごとの仕組みをまずはシンプルにするっていうことですね。
T: そうそう。
M: でもそれが難しいんだろうなぁ。
T: だからね、ぼくたちは地方の人たちの心情を理解することはできないと思うよ。本当のところはね。
ただ、“ある場所を気持ちいいものにするための共通の法則”に対する認識っていうところではシェアできる部分があるんじゃないかな、っていうことですよ。
でも、確かに難しいよ。不可能っていう意味じゃないけど、とても難しい・・・。

大人のロック?

T: このところさ、 “大人のためのロック”みたいな雑誌が立て続けに出たりしてるじゃない? ぼく、あの手のものに対する違和感がすごくあるんだよ。
M: ああ・・・。それってどんなところが、なんでしょう?
T: うん。リアルタイムで体験してない人が原稿を書いていることが多いせいかもしれないんだけど、ぼくらから見ると、なんか核心に触れてないっていう感じがするの。
ジャニスの「パール」を聞いたり「フェスティバル・エクスプレス」を見たり、あと、今度、ジェファーソン・エアプレインのベストも出るんだけど、そういう ものに、今、改めて触れてみると、この頃の音楽にはざらついた質感とか、切ない“痛み”みたいのがすごくあったよなって思うんだよね。
でも、今、「大人のロック」的に提出されているものって、全てカッコイイことばかりで、そういう痛みがきちんと含まれていないと思うんだよ。
M: ああ、確かに、「さあ、素晴らしかったあの頃を振り返ろう!」みたいなノリの雑誌が多いですよね。
T: そう!
“あの頃”はもちろん良い時代だったけど、当然、ネガティブなことだってたくさんあったわけだよ。「オルタモントの悲劇」だってあったし、ジェファーソン・エアプレインの「Somebody To Love」を聞きながらドラッグやって死んじゃったやつだっていたわけ。でもそんな話なんかどこにも出てこない。
M: そうですね。
T: あとは、なんか学術的過ぎるんだよね。
全部、“分析”なんだよ。
だから、ぼくらから見ると、今、ああいうところで書いてる人って、一番ロックっぽくない人たちなんじゃないかと思うんだよね。
ぼくも分析もしたし年表も作ったけど(笑)、それは身体でわかった上でやってたわけで、身体でロックだった人と頭でロックな人の違いっていうのを、最近のロック雑誌を見るとすごく感じるんだよ。
M: そうですね。確かにロック雑誌だかプラモデル雑誌だかわからないような雑誌は多いですよね。そこで、何かロックの本質的なものが欠落してるっていうことなんですかね?
T: そうそう、“魂”っていう言葉を使うのは大げさかもしれないけど、何か大切なものが抜けてるような気がすごくする。
今、ボブ・マーレイについて分析的な原稿を書いてるライターより、たとえばボブ・マーレイを大爆音で聞きながらタイをバス旅行してる、ボブ・マーレイの名前さえ知らないおばちゃんの方が、何か根源的なあの身体にジリジリくるレゲエの感じをわかってるんじゃないかなって。
ジョン・レノンにしたって、ハンブルグでドラッグとかやって首から便器をさげて演奏してた時のことなんか、誰も書こうとしない。
「ロスト・ウィークエンド」って言われてる、ヨーコさんと別れて、メイ・パンとロスでデタラメなことをやってた時のことも全て消去されて、ジョン・レノンは「Love & Peace」の人だ!みたいにしちゃってる。
でもさ、そういういろんな “感じ”や“痛み”や“汚さ”や“弱さ”を巧妙に抜き取られてひたすら口当りがいいようにクリーン・アップされたボブ・マーレイやジョン・レノンっていったい何なんだろうって。
普段、セックスしてないやつが「この角度が気持ちいいんだ」ってしたり顔で言ってるみたいな感じを、ぼくは今の“大人のロック・ジャーナリズム”から受けるんだよ。
何百本、AVを見たからってセックスの気持ち良さがわかるわけじゃないだろう?
それと同じでいくら細かい分析をしたって時代の空気までは手に入れられないんだよ。

まるですごくheavyな映画のよう

M: 「続・ドロップアウトのえらいひと」を読んで思ったんですけど、あの「ドロップアウト」のシリーズって森永さんだからあそこまで書けるんですよね。  
あれは他の人が書くと実はかなりエグいよなぁって・・・。
T: あれは森永に“邪気”がないんだよね。やっぱりあいつがどう書くかっていうところに人々の興味のポイントがあるからさ。あと、人選にしてもあいつの基準だから。
だからいいんだよ。
いろんな意味で、なかなか他の人ではできないと思うよ。
M: 今回は立川さんの“ストーリー”もあって、その中の「ミックも昔、ひどい目に遭ったことがあって・・・」っていうくだりは新鮮だったな。
T: そうかな? ぼく、わりと言うけどなぁ。
M: それってどんなことだったんですか?
T: 具体的に言うとレコード会社の裏切りっていうやつだけどね。
M: かなりheavyだったんですか?
T: うーん。アースリング事件て言ってるんだけどさ、そのアースリングっていうバンドでインターナショナルな展開をしようっていうことになって、 ウォーホールのスタッフがついて、トーキング・ヘッズのティナもすごく気にいってくれて、キッド・クレオールがパーティーやってくれてって・・・。まあ、 そうやってニューヨークでレコーディングしたり、集中してがーっとやってる時に、突然、資金元から梯子を外されちゃったわけよ。入ってくるはずの金が突然 入ってこなくなって・・・。
これはやっぱきつかったね。「地獄の黙示録」みたいなもんだよ。戦場で後ろを向いたら武器がないんだから・・・。
でもプロジェクトは後に退けない状態になってて、しょうがないから日本に電話していろんな人に金銭的な助けを求めるんだけど、ああいう時って、普段、 「ミック、何か困ったことがあったらいつでも言ってよ!」みたいに言ってたやつに限って、「いやぁ、役には立ちたいんだけど、急に言われてもなぁ」とか言 うわけ。「うちも一応、会社だしさ」とかさ(笑)。
M: ああ、わかるなぁ。
T: それで意外なやつが、金、貸してくれるんだよ。
その時、ロード・マネージャーでついてきてくれた、ぼくの学校の後輩で、後でインナー・ディレクツっていうインディーズ・レーベルを作った宮部っていうやつが、「ボス、もしあれだったらおれ、なんとかしましょうか? おやじに借りますよ」って言ってくれて実際200万ぐらい貸してくれて。
あと、知り合いの女で普段はへらへらしてるようなやつが「わかった」とか言って貸してくれたりとかね。
M: そういう時って、人の普段見えなかった面が見えますよね・・・。その時って、立川さんはいくつぐらいだったんですか?
T: 30ぐらいかな。
で、一応お金の方はなんとかなって日本に帰ってきてからもいろいろたいへんでね。
うん、そう。やっぱり、きつかったなぁ、あれは・・・。
でも、ぼくはどういう状況にあっても、それを“映画的”にしかとらえないんだよね。ああ、すごくheavyな映画だったなぁみたいにして、自分を見られる。だからあの時も、持ちこたえられたんだろうね。
M: なるほどね・・・。
T: でもね、もしあのプロジェクトがうまくいってたら、ぼくは今みたいになってないかなって思ったりするんだよね。だからあれはあれで良かったのかなって。
M: どうしてですか?
T: うん、あのバンドがうまく行って、それでなんとなくニューヨークにも半分ぐらいはいなきゃなんないっていうことになってたら、その後のヴィスコン ティ(のプロジェクト)もやらなかっただろうし、結構、中途半端な国際的音楽業界人になっちゃってたかもしんないなぁって・・・。
やっぱり、なんかいい方に考えちゃうんだね。
M: そういうのはずいぶん経ってから考える?
T: わりと、すぐ、そう思うね。あ、だめだ。いいやって(笑)。
でもまあ、それは(ぼくが)ほかのことができるからかもしれない。他にもやることがあるから。
自分がそれしかできないと思ってることで、ひどい目にあったら、それは「ま、いいや」じゃ、すまないのかもしれない。
それはあまり考えたこともないし、考えてもきっとわからないことなんだけどね。
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