TIME WAITS FOR NOR ONE~立川直樹同世代トーク~

第10回 前編

ここだけの話であるが、立川直樹は鍋奉行である。
ある日曜、一緒にある芝居を見た立川さんとぼくは浅草の「飯田屋」に向かい、「ぬき鍋」を中心とする料理を堪能したのだが、とにかく彼はぼくに一切鍋に手を触れさせない。
「これ、もういいから食べて」、「これ、ちょうどいいと思うよ?」、「うまいね、これ」 などなどの言葉に反応したり反応しなかったりしつつ立川さんの話を聞くのは少々慌ただしくも実に楽しいことであった。
今回はこの飯田屋さんで聞いた話にVa-tout、あずさ3号の車中、立川さんの愛車2CV、レッドシューズで行われた「ライブ・シャングリラ」の前後などに聞いた話を織り交ぜて構成してみた。

T=立川直樹 M=三島太郎)


T: どじょう鍋ってさ、ぼくは絶対的にぬきのほうがうまいと思うんだよね。骨が無くてすっと食えるし臭味もないし。
M: 立川さん、やっぱりどじょうは飯田屋さんですか?
T: そうだね。ここ、何年か前に改装したんだけど前の感じが残ってるんだよね。
(元の建物が建った)50年前ぐらいの雰囲気が残ってて明るくなっただけ、みたいな。
「あさば」もそうなんだけど、好きなんだよね、こういうの。

ライブ・シャングリラ前日

M: 明日はファン待望の「ライブ・シャングリラ」ですが、どうでしょうね?
T: うん、おもしろくなると思うよ。
最近さ、「昔、シャングリラを読んでました」とか「プログレファンでコスモス・ファクトリーのライブも見に行ってました」とか、「昔、JAPAN(を) 好きだったんです。本物の立川直樹さんですか?」とか(笑)言われることがやたら多いんだよね。
M: 「シャングリラの予言」についてはここでも折に触れて話していただいてるんで今日のところはサラッと、と思うんですが、一つだけ聞きたいことがあって、
最初に森永さんとシャングリラを始めた頃と今と、立川さんのライフスタイルって変わりました?
T: やっぱり体力がね・・・。あとは周りの状況の変化もあってやっぱり多少は変わってると思う。
店にしてもいまは“一職種一店舗”みたいな考え方の方が強くて、あんまり全然知らない店に行くよりは、気心の知れた良い店で仲の良い人たちと、「次はどんなこと、しようか」とかって話をしたいっていうふうになってはきてるよね。
M: なるほど、そういうのってやっぱり話の内容にも反映されるんでしょうね。
T: プロレスで言えば「これでもか!」って叩きつけるように技を繰り出してたのが第一期シャングリラだったと思うのね?
で、一度やめてミレニアムの時にもう1年間だけ“エスクワイア”でやったんだけど、その時はもう、前ほど“怒れる若者達”っていう感じじゃなくなってまた 別の視点が出てきていて、“おとなぴあ”でやった時は細川隆元がやってた「時事放談」のストリート版みたいになってきて・・・。
だからたぶん、店の数とか映画の本数っていうのは第一期シャングリラが一番多かったんじゃないかな。“おとなぴあ”で連載してた第二期っていうのは、もう 少し“シャングリラの思想”というか物の考え方みたいなほうに行ってたのかなって。意識はしてないんだけど、結果的にね。
森永もこの前読み返したら(第一期の方が)毒は濃いよねって言ってた。
この10何年かの変化っていうことで言えば、ぼく自身、たとえば今は「先生」って言われる機会って多いわけじゃない?
M: そうですね。
T: そういうのって、昔だったら「冗談じゃねぇよ」って言い返したりしてたんだよね。でもさ、今はもうシニカルな意味で言われてるんじゃなければ、そ してその方が通りが良くてみんなもその方が仕事がスムーズに進むんだったら、あんまりそこで「先生と呼ぶな!」って言わなくてもいいかなって。
そういう心境の変化みたいのはあるよね。
M: 今回のライブ・シャングリラを前に、その第一期のシャングリラをちょっと読み返してみたんですよ。  
それで初めて思ったことがあって。
T: うん。
M: あの企画をスタートさせる時、森永さんの中にはすごく明快に自分にとっての“理想郷”を紙の上に作ろうっていう意識があったんじゃないかなって。  
で、その目論見がすごくストレートに実現したのが第一期シャングリラだったんじゃないかと思うんです。
T: そうだね。そういう意味では彼はすごい編集者ですよ
M: 森永さんにとっての理想郷=シャングリラを構築するために、森永さんにとってもっともふさわしいパートナーだったのが立川さんだったんじゃないかなって。
T: うん。それは正しい見方だと思うよ。
「ライブ・シャングリラ」当日のレッドシューズは立川さん、森永さん、そしてもう一人の“SHABECREAM”であるフクちゃんの友人達やファンで埋め尽くされた。
MickとMackenzieのリラックスしたトークはまさにワン・ナイト・スタンドで再結成 したサイケデリックなサイモン&ガーファンクルの名に恥じないおもしろさと迫力。
実に楽しそうなフクちゃんはクリーム、CSN&Y、イーグルスなどをターン・テーブル に乗せつつ、絶妙の合いの手をはさむ、というかMick&Mackenzieにはさむことを強要される・・・。
トーク・ライブの後は中西俊夫さんの初期ヴェルヴェットを彷彿とさせる素晴らしいパ フォーマンス。プラスティックスはこんなふうに進化していたのだ。
そしてその後はこれぞロック!という大音響の中、それぞれが思い思いに踊り、飲み、 語らう大人の夜に迷い込んでいく。
「みんな悪そうですね~」
ぼくが思わず発した言葉に立川さんはとても楽しそうに笑いながら言った。
「ほら、あそこのあいつ、見てみな。なんだか悪魔みたいじゃない? でも、いい夜だよね!」


◆ LIVE SHANGRILA at Red Shoes
  2004.10.29 Fri.
  Talk Performance by SHABECREAM [立川直樹×森永博志×DJ 福田泰彦

1) 開演前、特製カクテルを楽しむ立川さん
2) トーク最中のお二人
3) Mackenzieこと、森永博志さん
4) なんて楽しそうな人たち!
5) この日のゲスト、中西俊夫さん
6) バー・コーナーを仕切るのはご存知、Assh
7) この日、たぶん一番幸せだった人・・・ フクちゃん
【撮影:1~5=三島太郎 6、7=早乙女道春】
 

自らのイメージと影響

M: 「シャングリラの予言」という本が高い評価を得て、今も多くの人に愛されてることによって、ある固定されたイメージが立川さんについちゃったというところもあると思うんですが、そのへんはあんまり気にはならないですか?
T: ああ・・・。ぼくは前回話したみたいに、あんまり自分のパブリック・イメージがどうかっていうのは気にならないね。
それは「あの人は何をやってる人なんだかわからない」って言われたり、(ぼくのことを)「好きな仕事で甘い生活」て言った人もいるけど、まあ、別に・・・。
ボブ・ディランがね、何かのインタビューで、“自分は今はもう六十数歳になって、みんなが自分を世界の救世主みたいに言っていろんなことを書くけど、自分 の興味があるのは子供の野球チームの成績と、それから普通のアメリカ人が誰でも思うような、たとえばデザートがどうだとかそんな程度のことなんだ”ってい うようなことを言ってたの。
M: へぇ。
T: それは全て本心じゃないのかもしれないけど、そういうふうに言ってるボブ・ディランっていいなと思ったんだよね。
それと去年出たDVDでローリング・ストーンズの40周年のツアーの時に、キース・リチャーズがギター(を)弾きながら、
「おれにはこれしかうまくできないんだよな」
って言ってるところがあるのね。
そういうのを見てると、ああ、そういうことなんだよな、って思うんだよ。
ぼくの仕事の仕方もすごくそういうところがあって、結局、「これしかできない」んだよね。
だから自分のパブリック・イメージがどうなってるのかとか、人間像が固定されてとかっていう方向には頭がいかないのかもしれないね。
M: なるほど。
T: ストーンズってすごくいろんなイメージがつきまとってるバンドなわけじゃない?
でもさ、(40周年の)ツアーを始めるにあたってメンバーが3年半ぶりでパリに集結するわけだよ。
ミック・ジャガーとキース・リチャーズとチャーリー・ワッツとロン・ウッドとそれからダリル・ジョーンズとチャック・リーベルっていう6人だけでリハーサルをやるの。まだセットのデザインとか何にもなくて、コーラスもホーン・セクションも入ってなくて。
で、キース・リチャーズが“車を3年半道に止めておいたから、まずは動かしてみて点検しなきゃならない。そのためにこれをやらなきゃならないんだ”って。
ロン・ウッドも「これはリハーサルのためのリハーサルだ」って言ってるわけ。
それってすごくいいなぁと思ったんだよ。
自分たちでまずグルーブを掴むためにやるっていうところ。キースも「チャーリーとしかやりたくない」って言うところ。そういうところがバンドとして存続してることの理由であり、すごさなんじゃないかなと思うんだよね。
M: 立川さんが「これしかできない」って言っても、今一つ、説得力に欠けるような気もしますが・・・。
T: 昨日、イベント*1で高畑(勲)さんとプレヴェールについて話したんだけどね。
もちろん高畑さんの方が何百倍もよく知ってるテーマであるんだけど、でも、ぼくもそれなりにわかってるプレヴェールのことだから、紙なんか何も持たずに 「プレヴェールって1900年に生まれて77年に死ぬまでどうだったんでしょうね?」みたいなことで始めて、高畑さんも“「枯葉」っていう歌の詞はどう思 いますか?”みたいにして話ができるわけだよ。
それが経済問題について話してくださいって言われたってそんなのできないわけで、そういうふうに、やれる範囲のことでがんばろうっていうことでしかないんだよね。
M: ・・・。
T: パブリック・イメージとかいうことで言えば、さっきの話みたいに自分の知らないところでいろんな人がぼくの書いたり作ったりしたものに対して何か を感じたり、まあ、いろんな影響を及ぼしてたのかもしれないなって思う機会があると、ああそうか、って思うことは、ある・・・ぐらいかな。
M: そういう時ってどんな感じがします?
T: 照れくさいけど、うれしいよね。ああそうか・・・って。
あと、そういうふうに言ってきてくれる人たちが、(今、)ちゃんとしてる人たちだからね。デザイナーとして活躍してるとかアレンジャーとして注目されてるとか会社でちゃんとやってるとか、ね。
そういう人の一人から「ぼくが買ったレコードのライナーノーツってだいたい立川さんだったんですよ」って言われたんで「それは君の趣味が良かったんだ よ」って言ったんだけど(笑)、やっぱりぼくは決してベイシティ・ローラーズのライナーノーツは書かなかったし、ぼくが好きだったものって昔も今もあんま り変わってないんだよ。

*1=2004年10月27日に東京日仏学院で催されたジャック・プレヴェール詩集「ことばたち」出版記念「王と鳥」特別上映+高畑勲トークショー

エクスキューズ抜きの感動

M: こないだビーチ・ボーイズの話で、立川さんはやっぱり出始めの頃の元気なブライアン・ウィルソンが好きなんだって言ってたじゃないですか?
T: うん。
M: あと、ぼくが「エルヴィス・オン・ステージ」が好きだって言った時も、もっと若い頃の獣のようなエルヴィスが好きだって・・・。
ぼく、そのへんがかなり違ってて、たとえばチェット・ベイカーの「レッツ・ゲット・ロスト」ってすごくいいなぁと思うんですよ。
ああいうふうによれよれしちゃってたり、テンパっちゃってたり年取ってたりしてる人の作品に、人生のヘヴィーさを感じて趣き深いなぁ、みたいのってないですか?
T: なくはないよ。
ただ、ぼくは最近、ミュージシャンにしてもバックボーンがいろいろ出過ぎちゃってると思ってて、そういうものもセットで音楽を聞かされるのってちょっと反則じゃないかと思ってるところがあってね。
たとえば歌手の場合で言えば、その人の人格がどうだろうが大酒飲みだろうが、歌がうまいっていう「正義」の前には何もかなわないと思うんだよね。
でも近年さ、バックボーンをなんだかすごく(前面に)出すじゃない?
チェット・ベイカーっていうとぼくなんかはやっぱり50年代から60年代頭ぐらいにジャズ・ミュージシャンがみんな小汚い時に、あのノーブルな顔立ちでトランペット(を)こうやって、立たないで「マイ・ファニー・バレンタイン~」って歌うあの感じなんだよな。
M: 立川さん、まさに晩年のチェット・ベイカーと仕事してるんですもんね。  
前に、すごくたいへんだったっていう話を聞いたことがあるような気がするんですけど、どんなだったんですか?
T: 最初に彼が住んでるところまで会いに行ったんだよ。で、待ち合わせてたんだけど、もういきなり来ないわけ。
次の日に会ったら、「ごめんごめん、昨日は行けなかったんだよな」って。
それで数日後に「消防署の跡地で今夜イベントがあるから一緒に行く?」って言われてさ。
じゃ、一緒に車で行こうっていうことになって彼が運転する車に乗ったら、スピードメーターが動いてないんだよ(笑)。なのにフリーウェイをすっごい勢いで 飛ばすわけ。それで途中で腹減ったからっていってハンバーガーかなんか買って食べながら運転して、もう前なんか半分ぐらいしか見てないの(笑)。
それで会場に着いてステージに上がって「ナウ・ザ・タイム」かなんかで始まったら、テーマのメロディーのとことかはちゃんと吹くんだけど、ソロのとこは吹かないでただニコニコ笑ってるわけよ。
ステージが終わってどっかの店に行った時に、「なんでソロ、吹かなかったの?」って聞いたら「おれは200ドルじゃテーマしか吹かない。ソロを吹くんだったら400ドルだ」って(笑)。
M: まるっきりドサ周り芸人ですね・・・。
T: 仕事になってからもレコードのギャラは印税じゃ嫌だって言うんだよ。取っ払いで金が欲しいって。
M: ええ。
T: だから、いくら?って聞いたら5,000ドルって言うからまあいいんじゃないのって言って始めて。
それで打ち合わせして、これこれこういうふうにしたいって言ったら、
「歌うんだったら10,000ドル」だって・・・。
M: すぐ倍にしちゃう人ですね(笑)。
T: でもね、マイルスの話かなんかになって、「早く吹こうと思ったら吹けないことはないけど、でもおれはロマンティックなフレーズが好きなんだよ」っていう感じはすごくチェット・ベイカーで、好きだったな。
「レッツ・ゲット・ロスト」ってさ、チェット・ベイカーっていう人間の暗部が出てるんだよね? でも(初期の)「チェット・ベイカー・シングス」の頃は、 まだメディアがそういうダークなものを出さなかったから、ダークなものを内包してるやつが、あのちょっと見は普通なレコードを作ってるっていうところにあ の独特な白人的なデカダンスが漂ってくる良さがあったと思うんだよ。
ぼくにしてみれば晩年のチェット・ベイカーの姿っていうのはそんなに驚くべきものではなくてさ。昔のバンドのやつらなんてみんな(あんなふうなことを)やってたんだもん。日本のジャズのやつだってデタラメなやつはもっとひどかった。
だからそこは少し冷静に見たほうがいいのかもしれないなとは思うし、極端に言えば「チェット・ベイカー・シングス」と「チェット・ベイカー・シングス・ア ンド・プレイズ」の2枚だけ聞けば他はもういいっていうぐらい、あの2枚は良いレコードだと思うんだよね。「マイ・ファニー・バレンタイン」とか、まるで チェット・ベイカーのためにある曲みたいになってる。
それに比べてやっぱり晩年は、ドラッグやり過ぎて声も出なくなってるし肺活量も落ちてるし、周りからスポイルされまくってる時の荒れたプレイだよね。
M: じゃあやっぱり「レッツ・ゲット・ロスト」がすごく良いなぁと思うのは、映像とか人生のドラマとかの音楽以外のものなんでしょうかね?
T: そうそう。映像を見てかっこいいとか、人生をリフレクションしちゃったもんで見てる、情報としての良さなんであって、それと「チェット・ベイカー・シングス」を聞いてロマンティックな気分になることとは価値判断のポイントが違うんだと思うね。
M: うーん・・・。こないだね、大江慎也の「UN」っていう新バンドのライブに行ったんですよ。ぼく、ルースターズの32枚組BOXセットを買っちゃったぐらい大江さんのファンなんですけど、その「UN」のライブはぼくにとっては悲しい出来で・・・。  
それで立川さんの“全盛期が一番”論を詳しく聞きたいなと思ったんですよ。
T: たとえばビーチ・ボーイズっで言えば、60年代にぼくらは彼らがサーフィンをやって本当に海にいるんだろうなっていう、日本で言えば加山雄三さんを見る時の憧れみたいなものとあの音楽が一緒にあったわけよ。
あのソリッドなコーラスとかね。
でもそれが(本当は)サーフィンはできなかったんだとか、ブライアン・ウィルソン、泳げませんでしたっていうのを聞いちゃうと「おいおい、ちょっと待ってくれよ」みたいのってあるわけだよ。
少なくともぼくはノイローゼみたいになったり、家の中にピラミッドみたいのを作って瞑想にふけってるブライアン・ウィルソンなんて見たいとは思わなかった。
M: そういう情報って全く後から来たんですか?
T: 後からですよ。だって(デビュー)当時はもう完全に・・・そうじゃないわけよ。
M: “海と車とかわいい女の子”の世界?
T: うんうん。
・ ・・だから、ぼく、よく言うんだけど、映画俳優とミュージシャンは「生きてる不幸、死んだ幸せ」ってすごくあると思うんだよな、やっぱり。
M: じゃ、映画の「ローズ」とかああいうのもだめ?
T: 「ローズ」、好きだよ。
「ローズ」っていうのはさ。あの全盛期のやつがだめになってくあの過程が・・・イイのよ。現役歌手がダメになっていく、頂点からまさに下り坂に差し掛かったとこなんだよ。
でも「レッツ・ゲット・ロスト」とか「スマイル」っていうのはこうなっちゃった後、なんだよ。
「レッツ・ゲット・ロスト」のチェット・ベイカーは「まだ生きてたんだ?」みたいな状況だったし、この前キャメロンが言ってた「スマイル」のブライアン・ウィルソンも、もう歌えないんじゃないか、ということだったわけで、そこにエクスキューズが入ってるんだよね。
やっぱりぼくはそういうエクスキューズ抜きにたとえばラジオから流れてきた音楽に素直に心の底から感動するっていう体験の方が本当だと思うんだよ。
でもね、「ローズ」で思い出したんだけど、「あ、やっぱりぼくこういうの、好きなんだな」って思ったのは、映画で「スター誕生」ってあったじゃない? リメイク版のクリス・クリストファーソンとかが出てた方。
自分のバック・シンガーのやつがのしあがっていく時に、ロック歌手がヨレてく話なんだけど、なんかすごい好きなんだよね。
やっぱり始まりがあれば必ず終わりがあるわけでさ。その終わってく時の生身の感じっていうのを、ロックン・ロールとかポップ・ミュージックって痛々しいほど見せてくれる。映画スターとかも。
だから(ぼくは)エンターテイメントっていうのをずっと好きなのかもしれないと思うことがあるんだよね。
M: ぼくはいっぺんこう、終わっちゃってこうグズグズしてた人が最後にもう一度蝋燭の最後のゆらめきみたいにしていく時の輝きみたいのが好きなんですよね。
T: うん、やっぱりキャメロンとぼくとではそこんとこでは違うなと思うのは、ぼくはボブ・ディランとかユーミンとかエルトン・ジョンとか、長く続けてやってる人をすごく評価するんだよね。
でもずーっとやってる人って、(メディアは)新人とかに比べてあんまり語ったりしないわけ。
今度のユーミンのアルバムなんてむちゃくちゃいいんだよ、「さすが!」っていうぐらい、良い。
でも、日本のロック・シーンってクリティックが無いから、“ポップスの女王の新作が発売されました”っていうところでしかなくて、きちんとした扱い方をされないんだよな。
こないだね、ラジオの彼女の番組に出て久しぶりに長く話したときも思ったんだけど、彼女は音楽作りっていうことに対してすごく玄人なんだよ。
もともと加橋かつみのために曲を書いたっていうところが(彼女の)スタートなわけで、だから人気のある歌手が自作の詞を歌う、みたいなレベルではないんだよ。みんな忘れちゃってるんだけど。
「メロディーというのはリズムとシンクロしてると私は思ってるんだよね」っていうようなことを普通に口にするユーミンと、今、そのへんに数多いる「私は自 分の気持ちを自分の言葉で歌いたい」とかって言ってるだけの女の子たちとでは、根本的にポップスに対するプロフェッショナルな感覚が違うんだよね。
でも今のマーケットの中ではその両者が同じにされちゃってるところにもしかしたらユーミンの悲劇っていうものがあるんじゃないか、と思うわけですよ。
M: でもいろんな世界のスターの栄枯盛衰─----まあ、“栄栄盛盛”の人もいるわけですが─----みたいなものって、誤解を恐れずに言えばすごくおもしろいですよね。
T: だからアーティストって常にそういう視線にさらされてるんだよな・・・。
M: この前、ゴダールの「ワン・プラス・ワン」を初めてビデオで見たんですよ。  で、はっきり言ってなんのこっちゃかわかんないんですよね。  でも公開当時はきっとかなり衝撃的だったんだろうなっていう想像はついて、そう考えてくと、たとえばストーンズにしてもチェット・ベイカーにしてもブラ イアン・ウィルソンにしても同じ“見た”とは言っても、見た時代とその時の状態─---それは見る側も見られる側も─- --によって、もしかしたら全然違うものを見ているのかもしれないなって思いましたね。
T: それは言えるね。
M: リアル・タイムでどういうインパクトがあったかっていうのは後追いで見た時にはわからないわけだし、でも後追いで見ることが必ずしもマイナスだとも思わなくなってきた・・・。
T: 世代的なインパクトっていうのはきっとすごくあるよね。
ぼくはこういう仕事をしてるからニルヴァーナも知ってるしカート・コヴァーンも知ってるけど、たぶんぼくと同世代で商社に勤めてるやつはカート・コヴァーン、知らないと思うんだよな(笑)。
M: (笑)まあ、(知ってる人は)かなり少ないでしょうね。
T: でも、それで・・・いいと思うんだよな。
なまずの唐揚げ、温かいうちに食べようよ。
・・・うまい! この牛蒡の唐揚げがまた、たまんない。
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